堀内新宮城 (ほりうちしんぐうじょう) (堀内氏屋敷)
所在地 和歌山県新宮市千穂1丁目9−29 2022.4.8
堀内新宮城 (ほりうちしんぐうじょう) (堀内氏屋敷)
所在地 和歌山県新宮市千穂1丁目9−29 2022.4.8
説明板
全龍寺山門・説明板
全龍寺本堂
堀内氏屋敷跡の石碑
西側堀跡
堀内新宮城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 全龍寺(表記番地)とその周辺が、奥熊野地方を支配した堀内氏の屋敷跡で、全龍寺の北西から西側の堀跡は現在用水路となっている。
【案内】 国道42号線「千穂2」交差点より西に行った狭い道の、全龍寺山門手前に若干の駐車スペースがある[マップコード246 193 710*87]。
昭和三十九年(1964年)6月8日、新宮市の史跡に指定された。
【歴史】 全龍寺(表記番地)とその周辺は、戦国時代から近世初頭にかけて、奥熊野地方を支配した堀内氏の屋敷跡であった。
16世紀半ば以降、堀内氏善の頃、熊野速玉・熊野那智の社家と結びついて勢力を拡大、羽柴秀吉の紀州攻めには臣従し熊野惣地の支配を許された。
秀吉の朝鮮侵攻への従軍、京都・大阪への熊野材の輸送など、この地を拠点に権勢を振るった。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍に参加し九州に落ち延びた。