能美山城 (のみやまじょう)
最寄地 島根県鹿足郡吉賀町七日市557 2022.11.9
能美山城 (のみやまじょう)
最寄地 島根県鹿足郡吉賀町七日市557 2022.11.9
登城ルート(緑線は車道)
北側林道横の登り口・仏像
東の堀切
主郭
5の段・兵溜調練所
お堂
能美山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 高津川右岸の標高360mの東西に伸びた尾根に築かれている。
主郭は東端にあって、樹木が多い。主郭の東端に堀切、西側に細長い兵溜調練所 、お堂があり、その西に階段状に5つの郭が並んでいる。
【案内】 南麓にある浄雲寺(表記番地)裏に「能美山城・大手門」の説明板が置かれており、墓地横に階段、フエンス扉がある。
そこから急な大手の堀道があり、左へ行く道は消滅しているが適当に登るとお堂東の兵溜・調練所に着く。
城跡の北側に林道入口[マップコード354 782 440*56]があり東に行き適当なところに駐車し歩くと「能美山八十八ヶ所参道」の標柱があるが、そのまま林道を進み仏像が2体祀られた右に仏像が2体祀られた登り口がある(地図)。そこから仏像が点々とあり、東の堀切に着く(こちらの方がなだらかで登りやすい) 。
【歴史】 正中年間(1324~26年)津和野三本松城の南を守る城として、津和野城主吉見頼行の弟横田頼拳により築かれた。
以後天文二十三年(1554年)、大内氏を滅ぼした陶晴賢は津和野城の吉見氏を攻めることを決し 、途中にある能美山城も江良弾正、端土太郎らの軍勢に攻められ、指月城に続いて落城した。
翌年、陶氏が毛利氏により厳島の戦いで 滅びると、横田氏は復帰し、毛利氏に従って11代頼綱まで270余年、津和野城の主要な支城として機能した。