大智庵城 (だいちあんじょう)
所在地 長崎県佐世保市瀬戸越3 2019.12.13
大智庵城 (だいちあんじょう)
所在地 長崎県佐世保市瀬戸越3 2019.12.13
登城ルート(緑線は車道)
城跡公園入口
大智庵城跡公園
松浦丹後守政の墓
西側帯郭
大智庵城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高30m】
【感想】 佐世保市瀬戸越3の標高107mの大智庵城跡公園となっており、遺構は少ないが北側の柵の外に帯郭が残っている。
【案内】 県立佐世保工業高等学校南の国道に「大智庵城跡」の標識があり、そこより登って行った大智庵長命寺に駐車できる[マップコード89 147 382*85]。
そこから大智庵城跡公園の階段があり、中央の台地上に志賀神社から移された松浦丹後守政の墓がある。
【歴史】 宗家松浦氏は今福、相浦、生月などを所領とし、相浦の武辺城を居城としていた。
延徳二年(1490年)14代丹後守定(さだむ)の時、交通の要衝であった大智庵城を築き移った。
明応四年(1499年)十二月、平戸の松浦弘定の夜襲を受け一夜にして落城した。15代松浦政(まさし)は戦死し、子・幸松丸は平戸方の捕虜となった。
その後、旧臣に救出され、宗家16代親(ちかし)として旧領を回復し、飯盛城を改築し移った。
飯盛城は2度にわたり平戸から攻撃され、親は戦死者の霊を弔う事業を多く行っている。政の墓もこの時建立された可能性がある。