横山城 (よこやまじょう) (県の史跡)
最寄地 愛媛県松山市菅沢町乙280 2020.2.6
横山城 (よこやまじょう) (県の史跡)
最寄地 愛媛県松山市菅沢町乙280 2020.2.6
登城ルート(緑線は車道)
登り口
4、5番目の堀切・土橋
3郭
堀切・2郭
主郭・城跡碑
横山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高30m】
【感想】 松山市麓の標高453mの山頂の主郭を中心に、南東尾根に鞍部の郭(2郭)を合わせて4つの郭がある。それぞれの郭の間には堀切があり、特に入口に近い南東側には5条の堀切があり、土橋で結ばれている。
主郭は北西端にあり、2郭との間は巨岩が立ちはだかり、北側から迂回して入る構造となっている。
南東約8kmに湯築城がある。
【案内】 「松山市野外活動センター」(表記番地)の一方通行路を反時計回りに行った体育館南の駐車場が利用できる[マップコード53 592 648*77]。
体育館北西(地図)から登ると、説明板が建てられ、尾根を行くと間もなく、連続して5条の土橋・堀切があり、4つの郭がある。南東側の2つ(3、4郭)は鬱蒼としている。
昭和二十八年(1953年)2月13日、愛媛県の史跡に指定された。
【歴史】 建武年間(1334~38年)河野通盛が根拠地を風早から湯築城へ移した際、横山城は湯築城の背後・北方を固める役目を担っていた。
河野氏の一族・河野通武が初代城主で、その後、子孫が南氏を名乗って代々城主となった。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐のとき、小早川隆景が東予から風早郡に攻め入り、落城した。