福光城 (ふくみつじょう) (不言城)(ふげんじょう)
最寄地 島根県大田市温泉津福光町福光167 2017.5.6
福光城 (ふくみつじょう) (不言城)(ふげんじょう)
最寄地 島根県大田市温泉津福光町福光167 2017.5.6
登城ルート
番所跡
二の丸切岸
三の丸
二の丸
本丸
福光城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【感想】 標高100mの丘陵先端部に、三の丸、二の丸、本丸を配置し、本丸より南東に馬洗池を経て登ると標高121mの山頂に「上の丸」がある。切岸、堀切、井戸などが残っている。本丸と二の丸の間に崩れた石垣が見て取れる。
【案内】 国道9号線のガソリンスタンド西に「不言城址」の大きな看板が建てられている。福光川に架かる「古市橋」脇に説明板が建てられ、橋を渡った右手に駐車場スペースがある。
南東方向に行くと、標識が建てられ、居館跡を経て登る。番所跡に石垣が残っており、登城路は二の丸と三の丸に通じている。
楞厳寺(りょうごんじ:温泉津町福光ハ67)にも登り口がある。
【歴史】 当初、福光氏の居城であった。永禄二年(1559年)石見に侵攻した毛利元就は、川本温湯城の小笠原長雄攻めに功のあった吉川(きっかわ)経安(石見吉川9代目)に福光氏の所領を与えた。
吉川経安は嘉暦三年(1328年)より拠点としていた温泉津町井田津淵の殿村城(髙越城)から本拠を移し、改修した。
天正九年(1581年)三月、経安の子・経家は羽柴秀吉の因幡攻めの折り、毛利方の武将として鳥取城に入り、7ヶ月に及ぶ兵糧攻めを受け、城兵などの助命を条件に自刃した。
慶長六年(1601年)経家の子経実は吉川本家の家老として岩国に移り、不言城は廃城となった。