大西城 (おおにしじょう) (池田城)
所在地 徳島県三好市池田町ウヱノ2869−2 2014.9.14
大西城 (おおにしじょう) (池田城)
所在地 徳島県三好市池田町ウヱノ2869−2 2014.9.14
池田幼稚園
池田幼稚園前・城趾碑
池田幼稚園建物下の石垣
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 吉野川南岸の約30mの高さの上野台地の上に位置し、東より現在の諏訪神社、池田小学校、池田幼稚園(表記番地)、池田中学校あたりまでが城跡範囲で、方形の形状であったとされる。
「池田幼稚園」の東に「史蹟大西池田城趾」の城跡碑が建てられ[マップコード357 697 251*44](地図)、建物床下に野面積み石垣が保存されている(壁がなく、東側道路から見えるようになっている)。
御嶽神社の前に、阿波九城の頃の四百年前に植えられた天然記念物の城郭並木(三好市指定文化財)があり、説明看板が建てられている。
【歴史】 承久三年(1221年)承久の乱で功績をあげた小笠原長清が阿波国守護に任ぜられ、その息子である小笠原長経が守護代として信濃深志より入国した。
長経は大西城を築城し、承久の乱で後鳥羽上皇側についた前守護佐々木氏の本城である茶臼山城を攻め、これを滅ぼした。
大西の地は阿波の西端に位置するが、讃岐、伊予、土佐と境を接し交通の要所であると同時に、四国全体の中央付近に位置する。
小笠原氏は将来四国全土の守護になることを見据えて、この地に主城を築いたとする見方もある。
南北朝時代、当初南朝方として戦っていたが大勢不利となり、細川氏に臣従した。
その後小笠原氏は三好氏に改姓して勝瑞城に移り、大西城には一族である大西氏が入った。
天正十三年(1585年)、蜂須賀家政が阿波国の領主となり、阿波九城の一つの支城として整備した。
牛田氏、中村氏が城代として入ったが、寛政十五年(1638年)一国一城令により廃城となった。