板井城 (いたいじょう) (亀尾城) (菊地十八外城)
所在地 熊本県菊池市七城町亀尾字前川 2014.5.9
板井城 (いたいじょう) (亀尾城) (菊地十八外城)
所在地 熊本県菊池市七城町亀尾字前川 2014.5.9
登城ルート
説明板
復元城門
板井熊野座神社・土塁
空堀
本丸跡・土塁
板井城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 県道138号線より七城町亀尾(字前川)集落に行き、南の山麓に見学者駐車場が用意され、入口に説明板が建てられている[マップコード175 136 322*23](地図)。また、湧水の水汲みが出来る。
石段を登ってゆくと、復元城門があり、その南に土塁に囲まれた「板井熊野座神社」がある。
城門を潜って曲輪を西に行くと、空堀で囲まれた一段高い本丸跡がある。比高約35mの本丸跡には「亀尾城本丸跡」の石碑があり、土塁も良く残っている。
【歴史】 鎌倉時代に相良一族がこの地を領して板井氏を名乗り、菊池氏の配下に入っていた。菊池十八城の一つであった。
南北朝時代には軍事上の要地ゆえに、菊池氏攻略の基地として、九州探題・今川了俊、その弟子・仲秋が万を超える諸国の軍勢を2年も板井城に駐屯(板井陣)させ、弘和元年/永徳元年(1381年)菊池武朝の菊池本城や良成(ながなり)親王の在所である染土城(鷹取城)を陥落させた。
菊地氏20代為邦公は清水涌くこの地の碧厳寺に隠居していた。
細川時代には重臣・沢村大学の支配となった『菊池市教育委員会説明板』より。