隈部氏館 (くまべしやかた) (永野城) (国の史跡)
最寄地 熊本県山鹿市菊鹿町上永野1631 2015.5.11
隈部氏館 (くまべしやかた) (永野城) (国の史跡)
最寄地 熊本県山鹿市菊鹿町上永野1631 2015.5.11
登城ルート(緑線は車道/紫は墓所)
入口・石碑
枡形石垣
礎石建物跡
北側堀切
隈部家墓所
隈部氏館跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 表記番地東を大きく左折し北に約900m道なりに行くと、専用駐車場が用意され[マップコード175 500 176*76](地図)、「隈部氏館跡」の石碑の建てられた入口がある。
堀道を北に行くと両側に「馬屋跡」があり土塁が良く残っている。空堀があり、石垣の桝形があり、石段を登ると広い標高342mに位置する居館跡で礎石建物跡や庭園跡が残っている。 神社がありその北に堀切が残っている。
駐車場より北東に約300m行き左折、西に100mほど行くと「隈部家墓所」がある(地図)。
平成二十一年(2009年)7月23日、国の史跡に指定された。
【歴史】 中世肥後の国人であった隈部(くまべ)氏の居館跡で、天正十五年(1587年)に起きた「肥後国衆一揆」の中心人物・隈部親永が隈府城(現菊地神社南東の城山)に移るまで、本拠としていた。
隈部氏は大和源氏の宇野親治を祖にすると云われ、赤星氏・城氏と共に、肥後国守護菊池氏の3家老であった。
江戸時代の地誌『肥後国誌』には、「猿返城跡」の城名の項に「永野城トモ云(中略)此城跡大手舛形ノ跡 城ノ礎石併若殿ノ部屋ノ跡 庭石泉水ノ跡 花園ノ跡等于今歴然タリ」とあり、記事の内容から隈部氏館跡を指していることは明らかである。