山陰城 (やまげじょう)
最寄地 宮崎県日向市東郷町山陰丙1223 2016.5.15
山陰城 (やまげじょう)
最寄地 宮崎県日向市東郷町山陰丙1223 2016.5.15
登城ルート
六地蔵のある林道入口
登り口
登り口下・城址碑
主郭跡
2郭跡・奥が主郭
3郭跡
3郭西側堀切
3郭西側2条目の堀切
山陰城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【感想】 耳川左岸の立山の南東に位置し、標高181mの頂上に東西30m南北40m位の主郭があり、中央に井戸跡の窪み、三角点がある。又、東西に石積が残っている。
主郭の周囲には犬走りがあり、立山方向に細長い2郭があり、川原石や人工の石が残っている。
土塁が堀切まで延び、西に少し下がって3郭があり、2条の堀切を経て尾根に連なっている。南西約700mに西城がある。
【案内】 登り口が判らなかったので、住民の方に聞いたら、親切に城址碑の所まで案内してもらった。
国道327号線より右折し、表記番地を過ぎた六地蔵のあるところを右折し[マップコード 136 213 145*20 ](地図)、約100m先を右折し林道をゆき、広いところで駐車する。
900mほど行った左に「史跡山陰城址昭和四十七年三月建・東郷町」と刻まれた石碑がある。さらに登って左折し終点手前に登り口がある(およそこの辺り) (石碑の直上50mに位置する)。
木に赤いテープが目印につけてあり、南側斜面をジグザグに登る。
【歴史】 天文年間(1532~55年)頃に米良氏によって築かれたと云われている。伊東48城の一つとされ、城主は伊東氏家臣米良喜内則村であった。支城として西城(にしのしろ)が築かれた。
天正五年(1577年)島津氏に敗れ伊東氏を大友氏の元へ敗走したのちは、日向国は島津氏の所領となり、島津家臣吉田右衛門が城主となった。
豊臣秀吉の九州征伐後、島津氏が撤退すると県(あがた・延岡)の高橋元種の所領となったが、元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となった。