金胎寺城 (こんたいじじょう) (楠木七城)
最寄地 大阪府富田林市嬉345 2022.11.4
金胎寺城 (こんたいじじょう) (楠木七城)
最寄地 大阪府富田林市嬉345 2022.11.4
登城ルート
テニスコート・水源左を進む
楠木軍兵舎跡
桜公園
主郭北側切岸
主郭
金胎寺城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高200m】
【感想】 富田林市の嬉と伏見堂と甘南備に跨る標高296mの金胎寺山に築かれている。
主郭は東西約30m南北約20mの広さで、周囲は急な切岸で囲まれ、北側(トイレ)と西側(桜公園)に曲輪が残っている。
【案内】 西麓を通る狭い道を曲がった表記番地北に登山者駐車場が用意されている[マップコード10 445 754*57](地図)。
南東にある民家先からフエンス扉があり、遊歩道が金胎寺山まで設けられており、「大門跡」「金胎寺跡」「楠木軍兵舎跡」等の標識が建てられ安心して登れる。
【歴史】 後醍醐天皇に仕えた楠木正成が鎌倉幕府と戦うために、元弘三年(1333年)楠木七城の一つとして築いたといわれる。
正平十五年(1361年)北朝方の畠山氏が勝利し畠山氏の支城となった。
室町時代中期、畠山氏のお家騒動のとき、寛正四年(1463年)畠山義就が立て籠もり幕府軍の畠山政長に敗れ、落城した。