岩倉城 (いわくらじょう)
最寄地 香川県美馬市脇町田上692 2014.5.16
岩倉城 (いわくらじょう)
最寄地 香川県美馬市脇町田上692 2014.5.16
登城ルート(緑線は車道)
標識・遠景
二の丸跡
空堀
本丸跡
本丸跡・城主墓
岩倉城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 真楽寺(表記番地)北東から南に徳島自動車道の下を通って[マップコード160 241 393*08]、60mほど西に行くと「岩倉城跡」入口がある。
西に30m行くと二の丸跡、堀切、その南に本丸跡がある。本丸跡には城主の墓が安置されている
【歴史】 築城年は不明であるが、一説によると文永四年(1267年)に小笠原長房が居城していたことから、鎌倉時代に築城されたとされる。
戦国時代に入ると三好康長の子である三好康俊が城主となり、脇城と連携して、この地方一帯を支配した。
その後、康俊は勝瑞城に移ったが、天正十年(1582年)長宗我部氏の手に落ち、豊臣秀吉の四国征伐で再び豊臣秀次等によって攻められ落城した。
天正十四年(1586年)蜂須賀家政が阿波国に18万石で入国後は、脇城は阿波九城(一宮城・撫養城・西条城・川島城・大西城・海部城・牛岐城・脇城・仁宇城)の一つとなった。
阿波九城も慶長二十年(1615年)の一国一城令により、寛政十五年(1638年)破却され、廃城となった。