古処山城 (こしょさんじょう)
所在地 福岡県朝倉市秋月野鳥 2018.12.9
古処山城 (こしょさんじょう)
所在地 福岡県朝倉市秋月野鳥 2018.12.9
登城ルート(緑線は車道)
林道終点の駐車場・登山口
馬攻めの広場
北西の郭
山頂郭への通路
山頂の郭
西端の堀切
古処山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高350m】
【感想】 嘉麻市と朝倉市の境界に位置する標高860mの古処山に築かれている。
秋月氏の城で、岩場の山頂から東西に伸びる尾根に郭を配置してある。
山頂の郭へは、人一人通れる狭間や波岩があり難攻の城を思わせる。北西側の平坦地は広く、西端の堀切は深く見栄えする。
【案内】 国道322号線の八丁峠の南約3km地点より古処林道が始まる[マップコード55 235 071*46](地図)。
そこから舗装された林道を1.5km行き、林道終点直前が崩落で狭くなっているが、その先に駐車場、登り口がある[55 236 255*30]。
そこから沢伝いに遊歩道が設けられているが、岩がゴロゴロ転がる沢を登る必要があり、傾斜も急で疲労度も大きい。
比高約250m付近に水舟があり、左に登ってゆくと「馬攻めの広場」があり、手前から登ると岩場の尾根に出、宮地嶽大明神等が祀られている。
宮地嶽大明神背後から北西に下ってゆくと、平坦地が3ヶ所あり、西端に見事な堀切がある。
戻って、大明神より東に岩場の尾根を登って行き、頂上手前の狭い通路を抜け、5mほど下方に岩場の郭がある。古処大神と書かれた巨岩や祠が祀られている。案内板南側に石積が見られる。
東側に250mほど下ると、奥の院・大将隠しがある(こちらは念頭になく行っていない)。
【歴史】 建仁三年(1203年)、秋月氏の先祖である原田種雄が築城した。
弘治三年(1557年)、大友氏による猛攻により陥落し、城主秋月文種は自害、次男秋月種実は毛利元就のもとへ落ち延びた。
その後は大友氏が城を守っていたが数年後に秋月種実は城を取り戻し、12郡36万石を治める大名となり最盛期を迎えた。
しかし天正十五年(1587年)、豊臣秀吉による九州征伐に敗れ、秋月種実は日向国高鍋(高鍋城)3万石に移され廃城となった。
元和九年(1623年)に黒田氏が秋月5万石を所領し、古処山城麓に秋月陣屋を築いた。