深江城 (ふかえじょう) (将監館)(しょうげんやかた)
最寄地 長崎県佐世保市鹿町町深江284 2017.5.11
深江城 (ふかえじょう) (将監館)(しょうげんやかた)
最寄地 長崎県佐世保市鹿町町深江284 2017.5.11
説明板
江迎鹿町駅
説明板・城跡の民家
深江城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆ 比高20m】
【感想】 藤護神社のある高台一帯は住宅地となり、遺構はほとんど見られない。
【案内】 松浦西九州線「江迎鹿町駅」の西側の道路横に説明板が建てられている[マップコード89 495 373*24](地図)。
【歴史】 築城時期は定かでないが、明応年間(1492~1501年)頃と云われている。
平戸松浦家22代豊久は、次男弘定を後継とし、長男峯昌を田平里城主とした。豊久の没後、兄弟の間で家督相続をめぐり争いが起きた(平戸箕坪合戦)。
田平方(峯昌方)には、一族の有馬、大村相浦等が加担し、平戸方は敗れ山口の大内義興の元に逃れ、助けを求め、義興の仲裁で和解が成立した。
峯昌は名を壱岐守純元と改め吉井直谷城主となった。その後、長男興信を平戸の養子に入れ、他の4人の子にそれぞれ領地を与え、自身は三男阿波守純忠を伴い深江に館を築き、移った。純元の没後、純忠、孫の将監忠昌と続いた。