投稿日: Sep 20, 2010 12:15:27 AM
日本ならではのテーマを探している方へ
メディアのベンチャー企業はテクノロジーの側から発想して、有用性に着目して、そこからどんなサービスがあり得るか、ビジネス化できるか、などと考えていくことが多いようだ。何らかの会社経営をするとなると、発展性とか社会性を考えなくてはならない。どうしてもマネタイズが最後の課題として残ることを、記事「自信に満ちた開発が先決問題」で書いたが、これはテクノロジーよりも難関である。だいたい日本で大きな会社になったベンチャーはたいていテクノロジー的には先進ではなかった。また優れた研究者を抱ええて立派な研究所のある会社からベンチャーが出難いことでもある。だからといって、CEOと、CTO、CIOを切り分ければよいといいうものではない。分業ではなくそれら全体の連携をするためのトップになれる人が必要なのである。今まで何とかやってこれたベンチャーのトップは税金の安い国に移り住むとか過去の成功話に留まることなく、もっとゼネラルなチャレンジ目標をもって、今「分業」のトップに居る人達がうまく働けるように指導するべきだろう。こういう努力がこれからの日本の力になるだろう。
振り返って我々の先輩のことを考えると、ちょうど今の中国や韓国のように先進国に「追いつけ、追い越せ」でがむしゃらに働いて日本の経済的な繁栄に貢献してきたわけだが、その「追いつけ、追い越せ」の方法は中国や韓国にお株を奪われた。そもそもアメリカもヨーロッパに対して同じような立場にいたわけで、日本が世界の工場になっていった時には、知財権戦略に舵をきった会社と、インテルやシリコンバレーのように自分で開発する会社に分かれた。後者は今日のデータセンターラッシュにつながっている。では我々の先輩は一体何を残してくれて、それを資産としてどのような方向に進めばよいのか、というのはこれからの課題である。敬老の日にちなんで言うと、日本が「高齢化」先進国になった、というのが残されたことの一つである。
何でも日本に80歳以上が800万人いるそうで、これはスイスとかオーストリアの人口に相当する。65歳以上は3000万人だそうで、これはカナダよりちょっと少ない。この人たちは貯金を溜め込んでいるという面と、家計が苦しいという2面がある。ここには前期高齢者の雇用、健康維持、介護、孤独死など多くの課題があり、税負担でもあることから行政任せにせずに、うまく民間の社会メカニズムに組み入れる必要がある。しかし高齢者問題の難関はコミュニケーションのとりずらさであって、高齢者は知人が亡くなって減っていくので、連絡をとりあう相手がなくなり孤立化が強まる。家族の方は若い世代が自立して核家族になるという先に親達が取り残されるという逆転核家族時代になって、やはり連絡がとりにくくなっている。しかし見ず知らずの民生委員など他人の訪問は好まないなどで、行政も手が出しにくいところがある。
また高齢者はしだいに身体機能が失われていくので、健常者向けの便利な道具がそのままでは使えない。また障害の程度は人により異なり、しかも状態は一定ではなく進行するので今までの工業的大量生産で対応するのは難しい。人は一生コミュニケーションがテーマである。孤立化していく高齢者こそ、技術革新の恩恵が受けられるべきではないか。 昔アランケイが子供の使えるコンピュータを考えていたところから、今のコンピュータのユーザインタフェースも発展してきたように、今までのパソコンはユニバーサルな指向をしてきたのだから、この技術を良く知っているならば「高齢化」先進国でいろんな試みができるかもしれない。テクノロジーと経営を結びつけるものとして、「社会を直視する」ということがあるのではなかろうか。