投稿日: Aug 02, 2011 11:23:39 PM
SNS取組みの動機が曖昧な企業の方へ
この結論は保留しておきたい。長く考えてきたことであるし、まだ何ともいえない。しかし記事『暴走するソーシャルメディア論』で書いたソーシャルメディアに対する過剰な期待は今日いろいろ噴出しているので、それにはちゃんと考察していきたい。「企業の情報系システムがSNSで済む理由 - コミュニケーションスタイルの久々のパラダイムシフトが目前に」 jbpress.ismedia.jp/articles/-/16808 という記事があった。一言で言うと、『「決まった形」よりも「ちょっとした情報」が求められる情報系システム』といっているように、曖昧な情報システムが作れるから伸びるという考えらしい。ちょっとした情報システム、例えばメールなどもそこに収斂されるという見方だ。表層的にはそうかもしれない。
しかしこの見方は、それ以前の情報システムが、何をインプットして何をアウトプットするか、きっちりと設計して、日常業務の中で誰がいつ何をするかの分担を決めてきちっと運営するモデルでは、ヌケがでてしまうところが、インターネット以降はメールに代表されるフリーのサービスでもやすやすと実現してしまったことの衝撃からきていると思う。つまりそれまでは情報システムは最初に構造化を考えていた。SGMLからセマンティックWebまでもそういったトーンは強い。XMLは緩くなったとはいえ、何々MLというような約束事を最初に行いましょう、ということになる。しかしソーシャルテクノロジーはそれらを否定するものではないはずで、その意味ではパラダイムシフトではないように思う。
確かに過去の硬直したシステム化の考え方で、複雑で流動的なナマの情報をリアルタイムにハンドリングすることはできないから、Web2.0でも3.0でも新たな発想が必要になる。それはいまだにニュースに関してはネットがマスメディアには及ばないところがあることからもわかる。むしろTVのエンタメ性の方がネット側から攻略しやすくなっているのかもしれない。
ではどうして企業が取り扱いが難しい流動的な情報を扱わなければならなくなったのかを考えると、売り手市場ではなくなったからだ。今でも売り手市場のようなビジネスをしているAppleにとってはソーシャルメディアは必要ないし、利用者の声を聞いて次の開発をする必要もない。要するに情報発信や提案というクリエイティブ能力の低下を補うものとしてソーシャルメディアがあるように思えて仕方がない。
高度経済成長期というのは企業の内から外に情報があふれ出していた。だから展示会・EXPO・イベントのようなものには活気があったし、今もボトムアップのクリエイティビティが高まっているコミケには人は大勢集まっている。企業が取り組むソーシャルメディアというのは、ともすると客の離反を減らしたいという守りの考え方になるかもしれないが、Appleのように攻め込むところがあると大した役には立たないだろう。世の中にはクリエイティビティを必要としない業務や組織もあるので、ソーシャルメディア自体は役に立つところは多くある。しかし攻めの経営に役立つかどうかはもっと考えてみる必要がある。