投稿日: Jan 12, 2013 1:28:51 AM
授業そのものを変えられると思う方へ
教育のIT化というのは、コストの削減とか、教える側の効率化という視点ではなく、生徒・学生のモチベーションや理解を高める新しいエクスペリエンスとして考えるべきだと思う。記事『センター試験をタブレット化する時代は来るのか?』では、センター試験をIT化すれば波及効果として模試とか簡易テストがIT化の方向に進むだろうということを書いた。つまり最初は生徒も先生も必要にかられてIT化した道具やシステムやワークフローに慣れる必要はあるのだが、それは目的ではなく、ITツールを介して新しい関係に入るようになるだろうと考えられ、それが新しいエクスペリエンスなのだ。
子供が小学校のときに中学受験塾が理科の実験教室を土曜日に開催しているのに連れて行ったことがあって、そこは学校ではやらないような、ちょっと危ないとかビックリなことを金を取ってやらせてみせている。危ないといっても昔は教室で行っていたようなことなのだが、近年は公教育からは消えてしまったようなものである。細かいことは忘れたが、私の子供の頃は「蛙の解剖」のような授業があった。今は親でも魚がさばけない時代なので、先生もやりづらいだろうし、記念にきれいに骨格標本を取り出すことなどは出来ないだろう。こういったものビデオで見せる授業もあるだろうが、やはりやらせて見せるエクスペリエンスは何物にも代え難いはずだ。
そこで子供にいろんな実験をやらせながら、それを自分たちでスマホ・タブレットで映像・音声で記録させ、それを教材にして先生が解説とか補足をするような授業がありえるだろうし、その解説や補足をデータ化していけば、次第にデジタル教材は膨らんで整っていく。つまり断片的な映像資料の段階から、教科書参考書の切り貼り的な知識、さらに携わった生徒の感想など、実験授業の全体が関連をもってデジタル化させることで、自分たちが教材を編纂するような経験を経て体系的な学習が可能になるはずだ。
実はスポーツの練習はビデオで撮って先生に指導を受けたり、みんなで試合のビデオを見ながら反省会をしているような、双方向のフィードバックが効いた一体感ある学習の場ができているので、それをスポーツ以外のところにも応用できるはずだし、そういった方法にデジタル教材の取り扱いの自由な柔軟さも生きてくると思う。例えばどこかよその実験授業の映像やデータを見ることがでいるようになったならば、その先にあたらなテーマやアプローチで実験することが始まるだろう。これは学術論文が次の研究の土台になるようなことと同じである。
つまり知というのは螺旋状に循環しながら積みあがっていくもので、その中に自分が関与するというのが研究でも学習でもダイナミズムになっている。こういう自分たちが参画する刺激を経験させることにITは役立つはずで、デジタル教材といいながら内実はオヤジが仕事でインチキなパワーポイントを見せているようなのを真似るべきではない。