投稿日: Apr 30, 2010 1:24:53 AM
マスゴミとdigitalゴミのどちらが勝つのかと思う方へ
お仕事系にtwitterアカウントを新調した(http://twitter.com/infoerosion)。そこで改めてお仕事ネタでtwitterを見直すといろいろなことが分かってきた。それはまた別に書くとして、infoerosionという名前に関して書き留めておこうと思う。erosionでGoogleの画像検索をすると、風化した光景がいろいろと出てくる。かつて緑の光景が広がっていたはずのところが、今は緑の痕跡を一部に残すだけになったものが多い。このイメージが出版ジャーナリズムに重なっている。
今の出版が雨が降らずに水分がなくなって風化のままになりつつあると例えると、どこから潤いが消えうせたのか、どこが潤っていなければならないのか、という話になる。それは関わる人自身だ。懐は潤っていても、人間としての潤いに欠けるのではないかと思ったことがある。例えば近年の日本でいろんなロボットができたが開発者の多くが子供の頃に鉄腕アトムを見て、自分はそういうものを作りたいと思ったと言っていた。また映画監督になった人も、若い頃ある映画に感動を受けて、自分もそんな仕事がしたいと志したと言う。次を担う人の再生産こそが文化だ。
今のゴールデンタイムのTVをみて自分もやりたいと志す人がいるとすると、いったい何に着目しているのだろうか。中には日曜朝の「新・三銃士」のような結構刺激的かなと思うものもある。ひょっこりひょうたん島以来の伝統だろう。しかし今のTV全体としてはあまり後進の育成にならないのでTV文化は薄いという気がする。出版物についてはコンテンツという面では確かに今でも人の再生産にはなっているかと思うが、編集はどうだろうか。かつては大卒の人が多くつめかけていた日本エディターズスクール http://www.editor.co.jp/ にどれだけの若者が行きたがっているのだろうか。デジタルメディアによって世に情報を出す敷居は低くなったのだから、もっと編集を志す人がいてもいいはずだ。
今のマスメディアの編集の仕事は若い人に潤いを感じさせるものではなくなっているのだろうが、それは今のマスメディア編集者自身の社会に対する関わり方や想い、つまり潤いの問題なのかもしれない。WebでもBlogでもソーシャルメディア・ソーシャルアプリでも、あるいはコミケでも、マンモスで質の高い既存メディアに比べるとゴミのようなものが多いが、そのような微生物はあるとき化けることが時々ある。ここに想いを形にするチャンスがあるので編集のやりがいが出てくるであろう。そうした積み重ねが新たな情報の生態系を構成するだろう。そこに何かお手伝いができることがあるような気がする。
今日私たちがなんだかんだ言っていることは既存メディアの風化の立会人というレベルでしかないなと思って名前を決めた。しかし風化の先に新しい生態系が生まれつつあるのもちらちら見える。登山家栗城さんが ヒマラヤアンナプルナ4090mから現地の様子をust生中継というのをやっていた。もーメディアに関する想いや潤いはシフトしている。TV(特に民放)の牙城はどんどん風化している。