投稿日: May 14, 2015 2:58:56 AM
ネットの利用者がマスコミ以上の規模になったものの、未だニュースソースとしては新聞やテレビが引用されている。マズゴミに愚痴をこぼしている人はネット上に多いが、その人たちが代わりになる情報を提供し続けることはできず、あくまでも単発の愚痴に終始している。
これはネットというメディアに何か問題があるのかどうかという議論もあるが、それ以前に書き手の質の問題が明白である。よく言われるようにライターさんもネットの原稿料の安さには辟易していて、ちゃんとした人がネットには書かないとか、逆に自己宣伝したいひとばかりがネットで目立つようなことになっている。
1本が何千円という原稿料では、調べ物をしたり取材したりという手間はかけられないから、素人の思いつきのような記事がネットを支配することになる。
しかしネットならではの書き手もいるわけで、そういう人が今はボランティアのような立場で情報を提供しているのが、継続できなくなってしまうと問題である。これは主にマスな対象ではなく、何らかの専門分野に多い。ネット以前から自分の専門分野の情報を絶えず収集・整理していた人であって、以前は自分のノートであったのが、ネットで公開されてシェアされるようになったものだ。
これらは見る人によっては高く評価するのだが、しょせん何百とか何千とかの視聴者しかもたないので、広告モデルなどで著者にいくらかを支払うということにはならない。パソコンのシェアウェアやパソコン通信の時代も「投げ銭」的な試みがされたが、いまだ定着したものはない。
WikipediaやQ&Aサイトも良いことが書かれていたりするが、これらは皆断片であって、たまたま検索エンジンにひっかかったものしか読まれることは無く、ある文脈に沿って編集されたコンテンツとして日の目を見ることはない。キュレーションとか「まとめ」という試みもあるが、それ自体が断片であって、例えばテーマとして「イタリア料理」であるとか「認知症」などに関して本一冊分くらいのコンテンツをネットから吸い上げて構成することは途方もなく手間がかかり、紙の本を探した方がよい場合が多い。
上記のようにネットには紙と競合しない良いコンテンツがあるのに、いままでのように紙の本のような人手による編集作業をして何らかのコンテンツを築き上げていたのでは、それにかかったコストは紙の出版のほどにも回収できないであろう。ネットですべきこととして、編集作業の低コスト化と効率化にもっと焦点があたらないと、このジレンマからは逃れられそうにはない。
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