投稿日: May 01, 2015 12:46:17 AM
私の子供の頃には各家庭に電話があったわけではなく、おそらく1960年代後半以降に生まれた人は最初から電話のある家に育ったのだろうと思う。今でも電話は家電話とケータイ電話の半々くらいで使っていて、親の世代など高齢者からは家電話にかかり、同世代はケータイ電話、もっと若い層は電話をかけてこずにメールを送ってくる。家電話に関しては、子機を使わなくなり、むしろケータイで用が足りてしまうようになった。家電話はネットのTAやCATVセットトップボックスのオプションになろうとしている。
しかし家電話の新しい形はまだ見えていない。家電話を振り返ると、子機とかファックス以外のイノベーションはなかった。大阪万博のころからテレビ電話というのが騒がれたが結局は不発だった。今映像の扱いが容易になって、遠隔地に住む高齢者の見守りが課題になってもテレビ電話を必要と考えている人はあまりいないだろう。必要があるとすると玄関のインターフォンの映像化くらいだ。家電のイノベーションというのはもうこの分野にはないのではないか。
日本はケータイ電話では先進国であったのに、それを契機に世界に出ていくことはできなかった。ケータイ電話というのは当時の旬の技術のブレンドという意味ではうまく作られていて、通話をするにはスマホよりもケータイの方が便利だと思うのだが、世の中がスマホにシフトしたのは通話というのは生活の中でそれほど出番がないということなのだろう。
思えば家電話の時代には長電話という習慣もあったのに、それがショートメールに置き換わるとは誰も気が付かなかった。電話を掛けるという行為をイノベーションしようとしても、チャットという異質の方法には到達しないだろう。もし長電話からLINEへの変化を論理的に説明しようとすると、人の行為ではなく、人がコミュニケーションをする目的にまで掘り下げる必要があるが、そうしたところでチャットを考え付くかどうかはわからない。
ケータイ電話は閉じた独自の世界で何でもやろうとして行き詰ったのだろう。通信プラットフォームのビジネスとしては、自分で何でも開発して提供するのではなく、人々が勝手にいろんなことをする場を提供するようになるべきだった。結果論だが、スマホは個人を通信でつなぐプラットフォームという面も担っていて、SNSやskypeも親和性がよい。またケータイで数多く試行されていた開発は、今は殆どスマホの無料アプリになってしまった。これもスマホがアプリのプラットフォーム提供をしたのであって、課金の代わりに広告モデルが発達したからケータイは締め出されていった。
一時期ケータイの復活的な様相もあったが、それは高齢者とかニッチマーケットに限られたことで、全体のトレンドになるようなものではなかった。もうプラットフォームのビジネスはモノづくりから遠い世界へ行ってしまったといえるのだろう。
Top → Articles デジタルメディアビジネスの記事 過去記事→Archive