投稿日: Dec 06, 2011 1:18:11 AM
クリエータの帰属先を考える方へ
コンテンツを生み出す土壌というものは出版社や音楽会社にあるのではなく、クリエータの生活の場にあるので、出版社や音楽会社がいくらマスメディアを使ってヒットを作ったところで、次なるクリエータは登場はしない。コンテンツとクリエータの循環構造を考えるならば、つまりビジネス側からすると将来のネタのための投資先を考えるならば、クリエータの生活の場に利益を還元する仕組みを作るのがよいと思う。一時的に儲かったので億ションを買っても、次なるコンテンツは生まれないので、クリエータ側も自分を生み出したところを見つめなおして、何らかの還元を考えるのがよい。
これは伝統文化なら当然のことなので、例えばアメリカにおけるロックとかポップスは地域性があって伝統芸能化していて、ミュージシャンには帰るべきところがあるのに、日本のロックとかポップスはまだ地域性が薄く、地方から都会に出たクリエータは自分の帰属先を見つけるのに苦労しているように思える。下の図は、記事『コンテンツの出世コース』に書き加えたもので、出世コースとしての1→2→3を経てビッグでメジャーになってコスモポリタン化するのは人生としては足場を失ったようなことになるので、結局自分のクリエータとしての出発点に戻れるのが幸せではないかという意図である。
つまり儲かったならば、実際は地域でなくてもバーチャルなソサエティでもよいが、自分の帰属先と思えるところに幾らかの還元(4)をする方法として、直接寄付というのではなくても、出発点となったソサエティのオーディションの審査をするとか、小さなイベントでも協力するとか、コンタクトを増やしていくことが最初で、そういった活動をするためにも、ソーシャルメディアは役に立つだろう。影響力のある人が地域貢献でも、特定分野の活動でも声をかけるだけで、生活者のソサエティの力になれる。
会社や金を動かすことができる場合には、もっと直接投資とか、商業イベントができるだろう。メディア企業の側も自社のマーケティングにソーシャルメディアを使おうという視点はさもしいし、また文化的なバックアップにもならない。ソーシャルメディアの力は企業が考えているよりも大きいもので、特にコンテンツのような無形のものの発達は会社が駆動することはできず、会社は単に出来上がったものを全国的・国際的に流通させる仕組みにしか過ぎないことになる。いままでは会社がクリエータを育ててやったのだという人もいたが、もうクリエータにとっては会社に特に思い入れを持つことは薄れていくだろう。
その代わりに年老いても暖かく包んでくれる帰属先の方が大事なはずだ。ソーシャルは別に新しい概念でもなく、もともと人はそうだったというものだ。ソーシャルとは、where I belong なのだから。