投稿日: May 22, 2014 1:26:9 AM
袂をわかちつつある
1980年代のニューメディアのころから今日に至るまで、メディア企業の電子化対応の姿勢は大きくは変わっていない。つまり既存媒体という母屋に新メディアという庇を作るとか、既存事業の一分野を置き換えてみるようなことをしながら、既存メディアのブランドを活用しながら、新メディアを市場の中で優位に立ち上げて、新たな人材の育成もしていくことである。
これを周遅れでやりはじめたのが電子書籍であるともいえる。母屋の方も将来は庇が母屋を養ってくれたらいいのになあ、という期待があるかもしれない。
アメリカでそれを果敢に始めたのが新聞界で、しかし実際にやってみると、記事『新聞の定義は変えられるか?』のように広告は惨敗であったり、電子版新聞は無料でも紙の部数に至らず、有料に至っては無料の5%程度にしかならなかった。
実は無料も有料も電子版に読者がついたことは大きな功績なのだが、紙と比較すると大したことが無いように思えてしまう。つまり母屋の評価は得られないものの、デジタルメディアは離陸しつつあるのである。ということで今が思案のしどころである。紙の部数の100分の1でもいいから独立したデジタルメディアにするのか、母屋とのシナジーは保ち続けた方がよいのかという判断である。
アメリカではHuffPostのように独立系の電子新聞が市民権を得たともいえるが、日本のHuffPostは朝日新聞がからんでいるように、まだ庇の段階だろう。こうした電子版の経験で何が分かったのかというと、紙など既存メディアと共同企画とかシナジー重視で同じ取材や編集をして、同じ様なコンテンツを発信しているうちは大して伸びないことで、むしろ独自企画の方が電子版の読者の食いつきがよいことだろう。
当然ながら紙の上で話題の記事は電子版でも話題にはなるが、それを超えることを考えなければ100分の1での独立採算も難しいだろうと思う。
著名人や識者のblogをいっぱい束ねてメディアのようにする試みもいろいろあったが、これも同じことで、既存メディアの著名人を流用してメディア化しているだけでは新しいメディアという雰囲気にはならないだろう。つまりコンテンツ自体から刷新していくつもりでないと、既存メディアとの競争に勝つことはできないし、そうであるならば母屋から庇を借りる必要もなくなってしまうのである。漫画は昔からあったが、漫画週刊誌は新人作家発掘で伸びたとか、テレビが映画から独立してスタートしたのも似たようなものなのだろう。
電子版になれば、出身が新聞であるとか雑誌であるとかテレビであるとか音楽であるとかの区別は無意味なのだから。