投稿日: Dec 07, 2010 10:40:28 PM
メディアの善悪議論に疑問をもつ方へ
この20年くらい片隅に追いやられた話題に「情報化社会」がある。特に日本では明るい未来を感じていた時代には話題になったものの、経済成長が止まってから考えるのも止めたようなきらいがあり、そのツケが今重くのしかかっている。20世紀の前半は殆どの情報伝達は印刷が担っていた。そこに電信電話や放送などのメディアが登場し、最初は軍や官の利用から、企業、民間へと応用が広がり、メディアの産業はいずれも栄えた。最初は映画界がTVに反発するなど、メディアのカンニバリズムが心配されたが、実際は相互に補完しながら好循環で発展した。TVのカラー放送化で印刷物もカラー化になるとか、TVの雑誌が伸びるなどがあった。つまり新メディアは出てきたものの、それによる充実感がみなぎったのが20世紀後半である。
その一方で、メディア研究とか、これから先がどうなるのかという考察も盛んになった。さまざまな本が出ていたのだが、それらのほとんどは今は古本屋でも手に入らない。極論するとマクルーハンのメディア論と、情報化社会論に集約されるだろう。マクルーハンは「メディアはメッセージである」といったように、中身のデータとは別に「メディア」という装いとかフォーマットの役割に対して注意を喚起した。他方の情報化社会論はデータが資源としての価値を持つというもので、今日のIT化の基礎となっている。あるいは管理の向上によってビジネスを伸ばせたとか、逆に管理社会になったという両面を当時から指摘していた。
マクルーハンの方はメディアリテラシー論として、情報化社会は「脱工業社会」「ポストモダニティ」論として、1960年代から1980年代に盛大に論議された。これが今ではあまり振り向かれないように思えるのだが、Wikiの情報化社会を見ると、最後に「主な批判」として、以下のような項目が挙っていて、これらは今でも考え続けなければならないことである。
1.「技術決定論」的であり、社会変動予測には、文化、政治、経済、などが充分考慮されてないとする批判。
2.情報革命と称される事態は実際には決して到来しないとする批判。
3.情報自体の質的変化や社会構造の抜本的変化が起きないという批判。
4.産業社会の延長線上に過ぎないという批判。
5.情報の過剰化により本来得られるべき情報が得られず、情報がゴミと化す社会になるとの批判。
6.情報社会の到来は理想的な社会とは程遠く、様々な害悪をもたらすとの批判。
7.あらゆるところで個人情報が利用され、情報提供者はそのことを把握も管理もできないようになるとの批判。
いずれの批判も今日のIT化が直面している問題であるし、その解決もITやデジタルメディアの課題であり、それを担っていくのだという志を持ってデジタルメディアのビジネスに斬り込んでいかないと、さまざまな障壁を乗り越える知恵は出てこないだろう。つまり何らかのビジネスモデルを確立しても、制度が変わるとか、反発を食らって路線変更が必要になることがある。ではどのような路線に行くべきかを考える場合に、上記のようなポストモダンの議論が頭の中にあるのと無いのとでは大きな違いになる。これらに対して何かひとつの解決方法とか出口があるわけではなく、永遠に議論は議論として続いていくであろう。議論そのものは直接ビジネスには反映しないだろうが、そこで取り上げられる社会のギャップこそが取り組むべきテーマを産み出していくので、無関係では居られないのだ。