投稿日: Oct 22, 2010 11:22:9 PM
維新が好きな日本なのに変革が苦手と思う方へ
明治維新を舞台にしたドラマはいつでも一般受けするが、日本人が本心では維新とか革命が好きではないことも明らかだ。現状を変えることは村社会とか儒教の価値観とは相容れないものであろう。しかし日本はいろんな意味で閉塞状態であり、古い価値観に留まっては沈没するという危惧があるから、維新モノに魅力を感じるのだろう。日曜の夜には「…ぜよ」という書き込みが増えたことがあった。twitterでも政府から役人から経営者に対するボヤキを書きがちになるが、ソーシャルメディアも掃き溜め情報に満ちると2chと同じようになってしまう。「これからはソーシャルメディアだ」と叫んでいる人がそのようになってしまっては洒落にならない。「ソーシャル」は三銃士(ちょっと前ならハトちゃん)で有名になった「みんなは一人のため、一人はみんなのため」という友愛精神とも通じるところがあって、人々のポジティブな指向が社会をよくするという(アメリカには顕著な楽観ではあるが)考えに基づいて出現した。ヨーロッパは階級社会だからちょっと違うが、EUというレベルで考えると友愛精神は人類史を変えているようにも思える。さて日本人はこれを受け入れることができるのか。
日本の閉塞状態の出口が見えていないとすると、黒船に触発されても自分で一念発起してもいいが、自分や自分の家族のため、あるいは一緒に働いている人のため、得意先のため、世の人々のために次世代を思い描いて、自分がすべきことを考えていけば、全体として友愛的な指向になるはずだ。しかし現実には会社にも家庭にもその時々の事情があって、総論賛成で各論反対になるのが今までで、特別会計の仕分けも中途半端の感は免れない。日本の組織的な決定には何かの欠陥があって、なかなか生身の人間の信念のようなものが社是や経営ビジョンや経営方針や事業計画には反映しにくい。アメリカで急成長したベンチャーなどは正反対で、Appleを代表に組織がまるで人格を持っているように動き、消費者にもストレートに理解される。企業活動を通じて社会に貢献する、というならば企業が社会に対してどのようなスタンスでいるのかが消費者にもっとよく判るようにしなければならない。
つまり信念をはっきりさせることと、信念をもって突き進むことが重要で、その信念が社会のあり様と対照して間違っていないなら、いつかうまくマッチングする時がくる。しかし今組織の中にいる人々が一つの信念を掲げられるとは思えない。なぜならそんなことは横に置いていた時代に採用された人々だからである。記事『変革の渦中の当事者として考える』では、情報流通の環境が前世紀とは全く変わってしまって、それが一般のビジネスのIT化とかEC化になり、次にメディアビジネスがこのままではやっていけない時期が迫っていることを書いた。これからメディア企業が直面する、新パラダイムへの移行とか、新規事業、縮小、撤退、などの決断ができないで時間だけが過ぎ去っていくことはもう許されない。なぜならお金の余裕はなくなったのだから。だから移行・新規・縮小それぞれの道に信念を共有できる人が集まって、再度起業するくらいに考えるべきだろう。
日本の企業は成長過程でダボハゼのように事業領域を広げてきたので、バブル後はその整理に追われたが、まだ今流通している商品の多品種化の裏には、事業ドメインを絞りきれていないところがあり、(一度ビール・飲料会社の合併話があったが)もう一段階の組織のリストラが必要になるだろう。このように古い企業の殻が壊れていく時こそ、信念のはっきりしたベンチャーの出番である。日本ではケータイ電話の代理店でも金策狙いでベンチャーと称することもあったが、社会に対するミッションの独自性がベンチャーには問われるし、そこが広報費用を掛けないでも消費者の支持を得られるポイントでもある。マネーゲームとは別のベンチャーの時代が始まると思いたい。