投稿日: Jan 17, 2013 2:15:46 AM
批評がひとつのメディアになると思う方へ
大原ケイさんによると、芥川賞直木賞のような慣習は日本独自のものらしい。こういったアワードは審査基準がどうこうと議論するよりも単なる販促プロモーションであると考えれば気が楽である。そういう意味では本屋大賞と同列に考えても良い。そもそも文学・文芸・創作に順位付けは無用であるのだから。販促としてはアワードでプチ有名人を作り出すことが効果的なのだろう。つまり有名ということが多くの人にとっては購買動機になるからである。この有名の度合いのランキングと作品の評価のランキングは何の関係もない。結果的には有名人になった作家の無名時代の作品が、有名になった後よりも評価が高かったりするからだ。
無名の作家を相手に金鉱掘りのようなことを延々とする編集者もいるが、そういった目利きの才能をもってベストセラーを次々に産み出すような技は真似られるものではないので、多くの場合は編集者の嗜好の範囲で、小ヒットを目指して食いつないでいくことになる。つまり有名人と無名人のボーダーのようなところの作家のエージェントとしての役割が日本の編集者の主な仕事であったのではないか。そのボーダーのヒーローが何々賞になっている。しかしこれを取ったからといって将来が約束されているわけではない。相撲で言えば十両みたいなものかな。
一般の人には無名の人を評価することはできないだろうから、こういったボーダーのところをちゃんと批評することがコンテンツの市場を活性化させることになる。だからよい書評が望まれるし、それを拡大して気に入った作品や作家をめぐる緩いコミュニティが求めら得る。書店や出版社はサイン会などをしているが、それは一時なのでもっと持続的に活動できる場としてネットは使われてくると思ったのだが、意外にその歩みはのろい。書評サイトもいろいろ登場しているが、少なくとも私が見ている範囲のSNS内ではそれらと連動しているように思えるものは滅多にない。まあこれからなのであろう。
日本の場合にはコメントがつくものは炎上するとやっかいだからやらないとか、どうしても書評といってもステマ的なちょうちん記事が多いとか、コメントや書評をする文化がまだ未熟なのであろう。そうならばアメリカのようなネットやSNSの利用を適合できないので、日本独自のちゃんとした批評文化をネット上に作り出していかなければならない。それに近いのはニコ動であって、漫画の場合でも画面にコメントが流れているが、それは作品自体とは区別されていて、作家もそれほど反発しないようだ。Amazonのレビューがとんでもない書き込みになっていることがあるが、そこにも次第に書き込みの流儀のようなものが出てきていて、コメント=炎上 というわけでもなさそうだ。これからは作品の評論についてもネット上に何らかのレビューの流儀をつくりながら、紙の批評誌の代わりになるようなものが生まれてくるのだろう。
有名作家については固定ファンのコミュニティがあれば十分だろうが、このボーダー領域は毎年いろんな作家が現われ、また作家自身の変化も起こるので、批評が活性化する部分であろうから、新しいメディアも起こるはずである。