投稿日: Sep 25, 2011 11:38:14 PM
ソーシャルメディアは人のデリカシーに触れると思う方へ
日本では未だにfacebookよりもtwitterの方が利用者が多いのは、いくら実名系とはいっても利用者間のつながりの強いfacebookよりも、不特定多数とのゆるい関係のtwitterの方が気楽に使えるのかもしれない。何か世の中で騒がれた際に、ネット上の炎上や書き込み傾向をチェックすることを10年ほど行っているが、日本では実名でネットに登場したくないという人が多かった時代とtwitterが一般化した時では差が出ている。事件などに対する反応をみるとtwitterの方が匿名の掲示板やYouTubeのコメント欄よりもリベラルな意見が多く、不特定多数を対象とするメディアと個人宛であるメールの中間的な位置にあることがわかる。これはWikipediaが成長したようにネットが世の中にもたらしたプラス面である。
しかしソーシャルメディア的なものが増えると人々が賢人になるわけではないだろう。ソーシャルメディアができることは、利用者にとってもっとも好ましいコミュニケーションを成立させることであろう。変人の集まりのソーシャルではとんでもない内容があっても、それは外の世界とは隔離されていれば影響はないし、変人どうしはその場の文脈でしか理解できないようなことを語り合って満足するであろう。
facebookはそのような使い方も内包されていて、メディアとしての則を超えた使われ方も想定されていたと思う。元々コミュニケーションには家族や1:1のものから、クラブ、地域メディア、全国メディアという広がりの差によって異なるスタイルをとり、家族~クラブまでがプライベートなものとして口コミ中心であったのが、ネットの技術で口コミと広域メディアの区別が無くなってしまったようになり、それを揺り戻すものとしてソーシャルメディアは位置づけられる。だから利用者にとっては口コミ拡大というメリットはあるが、それが当然社会にプラスになるものはあるが、別にプラスにならないコミュニケーションも増える。
日本人はソーシャルメディアというものに対して非常に慎重であるが、これはメールの取り扱いとか個人情報保護にも通じることで過剰反応が多いと思う。韓国でもネットで攻撃されて自殺者が出るとか、ネット・メディアと個人の関係がもつれる場合があるが、その理由はプライバシーが保たれる口コミ世界であるクラブ的なものが未発達だからだろう。欧米の場合にクラブのお手本になるのが教会で、ここは罪の告白までが共有できるように個人と集団との境がないほど包容力がある。スポーツクラブや趣味のクラブ・ソサエティはそれほどでなくても個人の帰属意識は強く、またクラブ・ソサエティ側も個人を攻撃はしないとか個人の尊厳を守る運営がされる。
こういったソサエティは当然ながらソーシャルメディアを活用するだろうが、そういった帰属先をもたない人にとってソーシャルメディアが憩いの場や癒しの場になるためには、クラブと個人の関係のようなものを手本にした方がよいだろう。ソーシャルメディアはITの仕組みであると同時に、人のメンタルな要素を扱うものだから、実名云々から始まって個人に好まれない要素、例えばスパムのようなソーシャルグラフの利用法とか、それにつながるOpt-inやOpt-outの仕組みのわかりやすさ、など従来の情報デザインの範囲にはないようなデリカシーが設計時に必要である。