投稿日: Apr 03, 2014 12:52:50 AM
奴隷は鎖を愛す
4月初旬という時節柄、新入社員に関するtweetがタイムラインに増えていく。リクルートスーツの若者を初々しいと好感を持つ人もいるだろう。私の若いころはそのようなものがあったかどうか記憶にない。昔は制服が嫌がられて、高校も次第に私服になりつつある時代だったので、わざわざ制服もどきのリクルートスーツは流行らなかったように思う。学校の式典でもアカデミックドレスというものはあるが、ガウンの下に着ているものはそれぞれの私服だろう。これはどちらかというとコスプレに近いもので、日常それを着て過ごすものではない。
日本は社員の離職率あるいは定着率というのは時代によってあまり変化しないもので、時代の変化で急に人を増やしたり減らしたりはする必要がないのが本来である。だからコンスタントに必要な人材を揃える努力はしなければならない。しかし若者の方は時代とともに何かが変化しているなと感じることがある。最近はレジュメの書き方も指南本があって、みんな上手に自己PRをしているために、採用に際しては実際に会ってみなければならず、かえって手間がかかった記憶がある。私には企業の面接の段階からリクルートスーツを着て現れる若者が不思議でならない。これだけで第一印象はかなりマイナスになる。つまり没個性な姿勢からは、企業にとって必要な人材であるのかどうかの判断がつかないからである。
日本のどこかには「みんな一緒」がよいことだという価値観が潜んでいるのだろう。何か一つのことに秀でていても、変わった人だったらのけ者にしようとする傾向はある。これが近年の日本の新製品開発や新規事業の精彩のなさに結びついているような気がする。多数決の弊害のようなもので、会議ですべてのことは無難な方向へ流れていく。つまり戦後の創業社長のような、あるいはビルゲイツとかスティーブジョブズのようなリーダーシップがなくなったことが、単なる宮仕えしか望まない若者を増やしてまったのではないか。
社畜という言い方がされるが、いい学校に行って、いい会社に入って、無難に暮らそうという指向は社会の安定が生み出すものだ。日本の現状の状態のままでいたいという人が増えたことは、社会としてはそこまで到達したのだかが幸せな状態だといえるのだろう。
しかし一方では国際的な競争で日本が負けて貿易赤字になっていけば、ベースとしていた社会の安定がなくなるのだから、社畜にいいことばかりはない時代になる。すでにそうなった大企業はかなりある。それでも社畜は減らないだろう。人の意識が変わるには100年とかの歳月がかかるものだからだ。