投稿日: Jul 14, 2015 1:23:7 AM
私が小学校の頃からスーパーというものが登場し、夏の熱い時には涼しく買い物ができてうれしかった思い出がある。東京オリンピックよりもだいぶ前なのだが、さして用もないのにスーパーにはよく出かけた。その時は名古屋に住んでいて、近くに地下鉄がやってきて、その上にスーパーと住宅公団が出来上がった。駅からスーパーに行く通路のパン屋がハンバーガーを売り出して、子供たちが喜んでいた。そのスーパーの名前は名古屋ショッピといって、名鉄系の会社で、その後は駅にくっついたスーパー展開をしていたと思う。このころはチラシがあったかどうか全然印象が無い。
オリンピックの後で名古屋から大阪に引っ越すと、そこはスーパー戦争の地であって、ダイエーの多店舗展開と、対抗するジャスコ、ニチイとか、その他多くの中小スーパーが続々と登場していた。昔からあった駅前市場や商店街は閑古鳥になるか、あるいはスーパーの中に吸収されていった。大型店舗のチラシ競争が始まっていた。
住んでいた駅前ではダイエーがさらに拡張をしようしていて、駅前市場や商店街と折衝をしていた。その結果商店街の外れにダイエーを作ってもらって消費者の動線が商店街になるようにするとか、駅前市場の場所をダイエーに譲って、その地下に市場が入るなど、共存共栄策が編み出されていた。この頃になるとチラシは随分と地味になっていった。
その後30年くらいはダイエー王国があったのだが、バブルが弾けるとともに、ダイエーに限らず小売店舗拡大競争をしたところは破綻していく。そんな中でも伸びた小売業はあるのだが、店舗数を誇るようなところではなく、地元密着型の経営だったと思う。つまり数とか物量の大きいものが必ずしも優位ではなくなった。特にバブル崩壊期では店舗価値下落でダイエーなどは経営の足元をすくわれる原因となった。
ダイエーは他のチェーンストアとはちょっと違った経営であって、特に本部主導で多店舗の管理をしていたように思う。チラシの作り方はそうであった。しかし地元密着型にするには、各店舗の店長の裁量を大きくしなければならず、チラシも全部本部が行うやり方では、地元中小スーパーとは太刀打ちできなくなるのだった。
組織の力としては、多店舗展開の時代はハコ作りで進んできたので、本部の資本力とか交渉力がモノを言ったのだろうが、地元密着で個々の店舗が効率よく運営するには本部の知恵は必ずしも役立たず、その工夫を店長に委ねなければならない。
特に今日のネットスーパーのようになると、店舗ごとに情報発信をする必要がでてくる。情報発信の仕組みについては本部がインフラを作れるだろうが、周囲の多店舗とどういう競争をするのかについては店舗ごとに戦略・戦術が異なるだろうし、それに基づいて店舗ごとに情報のコントロールをしなければならない。
しかし、棚に商品を並べるだけのことしかやったことのない人たちに何ができるのだろうか? 創業社長の居る中小小売りの強さもここらの違いにあるのだが、店舗力とオウンドメディアの力はしっくりいくとは限らない。ここらあたりが盲点になっていると思う。