投稿日: May 11, 2012 12:47:0 AM
デジタルメディアは議論が発散して悩む方へ
会議が空転して同じようなことを繰り返し話しているという状態になることがある。参加者の意識に隔たりがあるとか、それによって問題に対するスタンス・切り口に差があり、ものごとの進め方のロジックの共有ができない。しかし人の意識を揃えてからスタートしたいという気持ちがあっても、それは夢物語のようなもので、特に多民族国家のアメリカでは絶対有り得ない方法である。逆に日本は参加者の意識が揃っていないことを大きな問題と考えすぎて、余計な啓発セミナーのような遠回りをしがちである。
会議が進まない原因は人の問題とは別に、会議自身の問題として考えることが必要である。多くの場合はテーマに複数の異なる次元の話が混じりこんでいるから、参加者の意識の差によって話が収束しなくなる。だから意識の差によって議論が発散しないように問題の切り分けをする必要がある。今の日本の電子書籍が売れない云々もいろんな次元が混じりこんでいるので、何を言っても誰もちゃんと受け止めていないような状況になっている。だから記事『凋落傾向は家電だけではない』で触れたような研究会をやってみようかと考えている。
またそうなりやすいのは特に編集に関しては、一点あたりの開発費が低い出版物は個人任せで企画制作をしてきたきらいがあって、そもそもあまり議論にのせる習慣がなかったのかもしれない。しかしeBookでもアプリでも多くの新たなパートナーと一緒に仕事をしなければならなくなったので、ちゃんと他人に説明できるような企画にしなければならないし、それでないと制作進行・販売の管理もやりにくくなってしまう。特に販売に紆余曲折があると、元々どんなものを提供しようとしていたのかがブレてしまって、当初の計画とは異なる内容のビジネスになりがちが。それで売れれば舵取りがうまくいったようにも思えるが、それではなかなか将来に対する積み重ねができにくい。グリーもDeNAも最初の起業からすると、何の会社かわからなくなってはいても、大きく化けたからいいとするのだろうが、それでこの先に何が展望できるのだろうか?
もともと何らかのミッションをもって事業をしている以上、紆余曲折も失敗も肥やしにして、他者が思いつきで真似しても追いつかないような独自のノウハウを持っている必要がある。それは精神論の意識統制ではなく、自由な発想をうまく纏め上げるための問題の切り分けをうまくする社内文化が必要で、記事『テレビに攻め上れ』の最後に書いた、「アイディア・実現方法・ビジネスモデル・運用管理」というのをそれぞれ別の引き出しに入れて蓄え、管理して、必要な時点ですばやく組み合わせて実行できるということを、デジタル時代に合わせて再構築することだろう。