投稿日: May 24, 2011 11:49:0 PM
facebookはプロフになると思う方へ
アメリカではtwitterがヤバいという調査もあって、その原因はfacebookへのシフトが進んでいるからだろうと、誰でも思うわけだが、facebook自体はプラットホームのようなもので、それだけでどこが面白いとはいいようがない。日本でもfacebookの利用者は急増しているが、blogやtwitterなどに比べてどこか良くなったかどうかは判断し難い。blogのように自分の世界を守りたい人もいれば、twitterのようにオープンなつながりがよいという人もいるだろう。facebookはいろいろなものを載せるマナ板のようなもので、楽しくするのも有意義にするのも、その人の個性に左右されるはずだ。
ソーシャルメディアというくらいだから、もっともfacebookを賑わせることができる人は社交的な人であろう。しかしそんな人ばかりではないから、そのうちいくつかの典型的な使い方が出てくることになって、私はfacebookの何々派と称する時代になるかもしれない。どんな類型化になるのかは、その国民性など人のふるまいに影響されるだろう。例えばアメリカなら家族を大事にするが一方で親離れ子離れもはっきりさせ個人の自律が求められるし、中国なら血縁の親類縁者の関係が仕事でもいろいろな面にでてくるなど、リアル世界の特徴がソーシャルメディアに反映されるだろう。
日本は?家庭は崩壊ぎみだし、血縁は冠婚葬祭しか会わないで、学校や会社などの組織のつながりが人間関係の中心になっている場合が多いと思う。こういう他人に囲まれて他人に気を遣いながら暮らす日本人のソーシャルとは「同じ釜の飯」を食った仲間がコアになっているように見える。いわゆるノミニケーションの世界ですね。これはこれでよいとして、せっかく新しいデジタルのコミュニケーションになってもリアルの仲間とのやり取りの延長では芸がないように思える。ちょうど学生が昼間会った仲間と夜もメール交換をしているようなもので、世界が広がらないし、おそらく人間の成長という点でも個人が自律しないで小さく群れるいびつさがある。結局日本のfacebookユーザの主流はそういった形になるのではないか。
ソーシャルメディアは欧米のパーティー文化と同じようなもので、半分は仲間内での閉じた面があるとともに、残りの半分は友達の友達に自分からアプローチして世界を広げるという仕掛けであったはずだ。殻にこもりたい日本人は「チャレンジ」とか「新たな可能性」とか考えるのはうっとおしいと思うだろうが、外向きの志向の人にとってはfacebookは使い甲斐があるものになるはずだ。日本のビジネスもグローバルを標榜することが多くなっているので、会社が人を採用する際にfacebookを見て、グローバルな仕事ができそうな人間かどうか判断するようになるかもしれない。