投稿日: Sep 07, 2013 4:24:26 AM
大衆音楽の源
音楽でもマンガでも映画でも小説でもコンテンツ市場を考える際には、それが生まれた文化とその及ぶ範囲が問題になるが、それは限られた文化圏内でしか流通しないということではなく、文化の壁を越えてお互いが刺激をしあう関係にあり、例えば白人に無い要素/黒人に無い要素というのをお互いに少しづつ混ぜ合わせる匙加減が必要なことを記事『文化差がよい刺激になる』に書いた。記事『もうひとつのアメリカ音楽』ではロカビリー・ロックンロールの創世記を築いた白人の若者は人種が隔離されていた時代にAMラジオで黒人音楽を知り、深夜にColoredOnlyのJukeJointに近寄って漏れてくる音楽を聴いていたことに触れた。
こういう文化の交流によって多様な様式が生まれてきたのであって、黒人音楽にはどこかにルーツがあるはずだと思っても、水源のようなものはみあたらず、むしろ文化の純粋培養というのはありえないことがわかる。例えばこういった種類の大衆音楽史を考えるならば、音楽様式を詮索するよりも、むしろ文化の対立や融合がどのように進んできたのかというところに焦点を当てた方が、それらの音楽の理解の足しになるし、音楽を楽しむ幅も広がってくるというものだ。
アメリカの黒人音楽の場合、黒人の真似をしたエルビスプレスリーがPTAから激しく批判されたように、白人多数派は黒人文化を排斥・封じ込めようとした。その典型がKKKでもあった。しかし白人でもプレスリーのような貧民は仕事が黒人と変わらず実際黒人と同じような生活圏に居た。
だから下図のAのように、表面的には肌色対立のように思えても、実態は暮らし方の違いとしては貧富さ(図のB)の方が文化的には影響しているといえる。北部の都市部では白人の下層階級の仕事を南部から来た黒人が肩代わりしてしまったので、中流的な黒人は白人と対立するよりも、白人文化を取り入れるようになって黒人独自のものは都市部では影の存在になった。
私が集めているアメリカ黒人の45回転レコードは主として南部のものなので、そこでは北部都市と異なって、白人と黒人のミュージシャンが一緒にやっている場合が多い。白人のバックに黒人が、黒人のバックに白人が、というのはフツーである。ジョニーウィンターもスティーブレイボーンもそういうところから出てきた人達である。昔はなぜそういうことが成り立ったのか不思議に思ったものだが、いろいろなレコードを集めていると、考えていた以上に南部の下層民は肌の色を越えた共通点が多かった。都市部がずっと隔離政策をしていたのとは対照的である。
そうすると、ロックの起源はブルースであるとみるよりも、南部のプアな労働者のエンタテイメントがロックの起源であると考えた方がいい。そこは昔から白人もブルースを受け入れていて、ミュージシャンは自分のレパートリーにしてはいたがレコーディングはあまりしなかったので、外部からわからなかっただけである。
YouTubeで丹念に探すとこういった音楽シーンも覗けるようになってわかったのだが、アメリカ南部のこういう風土は、今なお起爆力を秘めているように思える。
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