投稿日: Feb 15, 2011 11:15:11 PM
メディアも無政府的民主主義だと思う方へ
中東では長年の形式的民主主義が崩壊しかけているが、名古屋市や愛知県でも似たようなことが起こっている。直接民主主義で政治も行政もできないので、既存の枠組みに代わるマシな民主主義の制度が必要な段階になったのであろう。大衆は無知だという前提でエリートが上から下に押し付けるのではなく、生活者を巻き込んだ形で社会の問題解決を試行する時代になろうとしている。それがソーシャルビジネスやシェアなどにも現れているし、そういった時代のコミュニケーションツールとして優れているのがソーシャルメディアでもあろう。決してソーシャルメディアがあるから革命になるとか問題解決になるわけではなく、あくまで社会自身が変容すべき何かを熟成させてきたことが因である。
これはメディアにもあてはまる。記事『まずは大きなビジョンを』では、1980年代のニューメディア以来20年以上にわたって既存メディアの対応は名前やデバイスを変えながら同じ所をグルグル回っていて、電子書籍の乱立やTVも3桁の何百チャンネルはカオスに陥っていることを書いた。これがどこにどう問題があるのかを当事者は分かっていない。読者・視聴者・利用者に対してのアンケートというのは時々行われているが、既存メディアから離れてしまった人や関心ない人に対して、なぜ関心がないのかを聞くことは非常に難しいし、聞いたところですれ違った回答しか得られないだろう。記事『新しい日本人とどう付き合う』では、1990年前後生まれでインターネットやケータイの中で育った人たちのメディア・コンテンツの好みやサービス利用のサーベイを採り上げたが、単に既存メディア離れにだけ目を留めるのではなく、逆にどこに着目してもらうヒントがあるのかを探るのにもこのサーベイは使えるであろう。
今の電子書籍乱立やTV3桁チャンネルがカオスであるというのは、数の問題ではなく、その殆どが二番煎じのコンテンツで、別メディアに焼き直したに過ぎないこともある。もしデジタルメディアでのビジネスを立ち上げたいならば、デジタルメディアの主たる利用者である若い世代が欲しがるキラーコンテンツを探らなければならない。若い人に読まれていない新聞雑誌や、TVや、本をデジタルにすれば、若い人も振り向くと考えたのであろうか、コンテンツ面での新たなチャレンジがないことが既存メディアの最大の弱点である。これをほっておくとどうなるかは明らかなのに…。
つまり自炊に象徴されるように、デジタルメディアを使っている人が欲しがるコンテンツを自分で用意することが進んでしまう。自分で見るためのTV録画からYouTubeへというのも同じことで、動画コンテンツをシェアすることが楽しみになっている。上記の調査でもネット動画に費やす時間は、すでにTVの比ではないほどに多くなったライフスタイルの若い人もいる。こういった傾向は著作権侵害という視点でのみ語られるが、無政府的民主主義に似たところもあるので、これを包含する大きな仕組みを模索していかなければならないだろう。若い人でもライトノベルはよく読むので、その層に電子書籍を出すとすると、既存の小説の読み方と違う、軽く流し読みをするのにふさわしいようなツクリが必要かもしれない。ともかくデジタルメディアはメディア接触や情報摂取のビヘイビァを変えてしまう新たな枠組みであることを前提にしないと、キラーコンテンツは生まれないだろう。