投稿日: Feb 23, 2012 12:27:25 AM
SNSへの間違った期待が多いと思う方へ
日本でソーシャルメディアを語る場合に、どうしても今の日本人がソーシャルメディアの使っている現状から考えることになるので、そこに期待も悲観もある。リアルでは知らなかった人とつながりができるとか、知人でも今まで知らなかった面を知って絆が深まるなどである。そこから発展させて、みんながソーシャルメディアを使うようになると社会が変わるような話も出てくる。しかしこれは従来のコミュニケーション手段に加えてソーシャルメディアが増えた分だけ、人の関係性が活性化したに過ぎないと考えるべきだ。記事『ソーシャルメディアのことは自分の頭で考えよう』では、新たなメディアが出てくるときにはいつも社会が変わるという論調があることを書いた。
つまりソーシャルメディアの登場でコミュニケーションが活性化する面はあるが、そこに現れる情報は利用個人の設定した環境に依存しているので、それは鏡で自分の姿を見ているようなものになり、それで人が大きく考えを変えるようにはならないはずだ。アメリカは多様な価値観が並存しているが、それは価値観の排他性と同一の意味があり、大統領選挙であれ同じキリスト教同士であれリベラルと保守派が対立する構造は、ソーシャルメディア時代になっても変わらない。そこでのソーシャルメディアの役割は浮動層の確保合戦であろう。だからソーシャルメディアで政治が変わるのではなく、政治にソーシャルメディアが使われているだけである。それはオバマ陣営が有利になったり、ティーパーティーが有利になったり浮動していることからもわかる。
ソーシャルメディアといっても全く新しいものではなく、技術的にはWebとかBlogの派生のようなものであるが、それがマスメディアのような多数の人を巻き込むメディアになったという解釈は、ちょっと違うかなと思う。facebook利用者8億人のうちでメディア的な価値を持つアカウントはいくらもないことは明白で、個々のアカウントがそんなに力を持つようにはなっていない。ソーシャルメディアの仕組みは口コミとか伝言ゲームのようなものなので、あくまで伝播手段として優れているのであって、そもそも伝播すべき元情報の力に依存している。つまり従来マスメディアの報道を通した間接的な対立構図を人々は見るしかなかったのが、今はオバマvsティーパーティーそれぞれの言い分の直接対決が可視化してみえるようになった。
ここで着目すべきは、メディアがソーシャルになったのではなく、オバマ陣営とかティーパーティー側というソーシャルや、共和党内部の予備選候補陣営がメディア化していることである。メディアがソーシャル化というのは理解されやすく、マスメディアの情報もソーシャルメディアにフィードされて使われる面を指す。しかしもっと当事者に近いところからもソーシャルメディアにフィードされ、日本でいえばtogetherとかマトメのように情報がいろんな切り口でマッシュアップされていく。この場合選挙戦という各陣営のソーシャル活動がそのまま見えるようにメディア化させたのがソーシャルメディアといえば分かりやすいかと思う。
そのほか子供の学校の保護者会であれ、ママさんコーラスであれ、リアルの関係のコミュニケーションがメディアになってしまうのがSNSであって、SNSを新たなメディアとしてどう取り組んだらいいだろうかとう発想は本末転倒である。メディアとしての価値を持つようなリアルな活動をすることが先決のはずだ。