投稿日: Dec 02, 2014 1:2:41 AM
若い人の活字離れはないというのは、ラノベなどのエンタメでは言えても、ちょっと知的作業になると、本を必ずしも参照しなくなってきたことに不安を覚えることがある。ウチの子供も紙の辞書は使わないのだが、それで当面の用は足りるとしても、ページをめくる技能とか根気が養われないのではないかと思う。プロテスタントの教会では聖書を開くが、やはり若い人はスマホやタブレットの画面で聖書を見る。それが紙の聖書を開く人と比べて遅いということもないし、内容も変わらない。なにがどう悪いということもなさそうである。
学生さんの場合には、調べごとでネットで検索して、必要な答えが得られなかったら諦めてしまう人もいる。もともと検索の活用術には大きな個人差があって、検索結果の最初のページしか見ない人から、1000件目くらいまで追う人までいるので、ネットにあるとかないとか簡単には言えない。また英語にすればひっかかるようなものも技術用語には多い。大学生ならそこまで調べてほしいし、社会人でも自分がプロとしてやっていくべき領域なら英語での理解は必要になるだろう。
検索上手はキーワードを変えたり英語にしたりしながら数分のうちに大抵のことは把握してしまう。そういうリテラシーはどこかで教えているのだろうか? これを身に着けないとネットの壁に囲まれた狭い範囲で生活なり仕事をすることになる。
また、幾ら検索の上級者でも、インターネット普及以前のトピックスに関しては、ネットで調べられることに限度がある。そういうテーマは結局は本の紹介に行き着くのが相場である。今ノーベル賞がとれるようなテーマは大抵はインターネット以前に基礎研究がされていて、ネットで研究の進展をさかのぼって追うことは難しいだろう。
ネットがどこでも誰にでも開かれているものとすると、そこには個人が競争力をつける要素が少なくなるわけで、知的探求というのはネットの壁の外側に向かっていくことになるのではないか。
「バカの壁」という本があるらしいことは知っているが読んだことはない。「ネットの壁」という本も誰かが書くかもしれないが、それは本の読み方ということと同義になるのではないか。しかし適切な本にめぐりあう技術や技能というのは、ネットの検索以上にノウハウものであろう。
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