投稿日: May 10, 2014 2:19:33 AM
自分のオタカラはどこに行けばある?
気に入って時々通っていた店が無くなると寂しいものである。こういうことは子供のころからずっと続いていたように思える。高度経済成長時には駅前の再開発が盛んで、戦前からあった自営業の店が大分なくなってしまった。子供の頃には駄菓子屋とかお婆さんが一人で煎餅を焼いて売っている店がなくなった。青春時代は古本屋が世代交代をしていて、戦前からの謎の本や雑誌が一杯あったところが消えていった。大阪阪急梅田駅の作り変えで、高架下に古本屋街ができたのはうれしかったが、昔の民家改造店舗に比べると収納できるアイテム数が激減して、レアなものがなくなってしまった。
当時の私は古本屋漁りは熱心で、古い画集から始まって、江戸時代の黄表紙や明治初めの風俗画報や正月引札、20世紀初頭のフランスの石版画、19世紀のヨーロッパの小説など、それぞれ単価200-300円で買いあさっていた。そういうことができる古本屋がなくなってしまったのである。こういった経験があったから大学の専攻もソレ系のところになったし、印刷やグラフィックアーツ関係の仕事になった。集めたものの一部は今でももっていて、たまに出しては眺めている。
古本屋どころか書店も勤務の帰路にしょっちゅう立ち寄っていたようなところがなくなっていったし、レコード・CDの店も同様である。秋葉原の電子部品やジャンクの店も半減か3分の1くらいになってしまった。このように振り返ると、私が何かにこだわって熱中して時が止まっているにもかかわらず、時代は変化していって、私の興味するところは多くの人々の意識外になってしまったということだろう。
また喫茶店というのも自分の思考にとって重要な空間であった。あるテーマに関しては、その店に入らないと頭が回らないというようなことがよくあった。今はそういう店はすっかりなくなったのだが、当時は繁華街に出ても行き場のない思いをしたものである。つまり現実の街では行くところが無くなった分だけ、ネットの中で自分の居場所を見つけようという行動が増えていったのではないか、ということである。
2000年頃からeBayでは、それまで個人の納屋や倉庫に眠っていたガラクタが世界的に取引されるようになって、私の待ち望んでいたことがネットでできるようになり、そこで相当のお金を使ってしまった。しかしそれらも整理しなければならない時はくるわけで、またネット上に放出することになるのだろう。
吉祥寺駅も模様替えをしたが街にショッピングモールができても、そこに自分の居場所を見つけるのは困難に思える、そういう人はネットに漂うしかないわけで、再開発難民といえるのかもしれない。