投稿日: Mar 04, 2014 1:13:7 AM
共同体の音楽
黒人音楽をベースとしたロックは受け入れられやすいが、元となった黒人音楽そのものにはとっつき難さがあることを、記事『アメリカとイギリスのロックの違い』で書いた。これは一般に烏龍茶が受け入れられても普洱茶の臭みはイヤだという人がいるのと似ている気がする。私はもう20数年毎日普洱茶を飲むようになっていて、一旦超えてしまうと戻れないものがあるわけだが、土着的な文化すべてに共通する何かがある。
音楽の話に戻すと、沖縄などの島唄なども同様で、好きな人とそうでない人に分かれるものの、島唄ベースの曲は結構なポピュラリティをもっていて、そういうロックも時々はヒットする。ところが、河内音頭あたりになると、完全にロックバージョンもあるのだが、土着性が勝っているせいか広く流通することはないように見える。ただし大阪のロック界では河内音頭ロックは強い支持を受けていると思う。
ポピュラー音楽「業界」側からすると、島唄ならヒット曲作りの要素にできても、河内音頭は料理が難しいのだろう。
どうもロックと土着性の融合はどこでも起こるものではあるものの、土着性が強すぎると音楽様式がロックでもローカルな音楽になってしまうのだろう。これは前記事でいえば、 イギリスのロックはアメリカのロックが引きずっている土着性を消してコスモポリタンな音楽に仕立て直したものといえるだろう。
もっともイギリスのロックと一言でいえないことはいっぱいあり、ミックジャガーも1960年代には黒人的な歌い方だけでなく黒人的な歌詞を作っていたが、次第にそういう要素は減っていった。ローリングストーンズの場合は黒人的な歌もヒットしたし、後の変節した歌もヒットしていて、いろいろな黒人音楽の土着性を取り入れたり消したりして大衆受けをする感覚に優れたものをもっていたように思う。
一方ポピュラー音楽「業界」ではないジャズでもブルースでもアーチストが自分で大衆受けの匙加減をしないで、何かに向かってのめり込んでいくタイプの音楽もある。それらはヒットはすることはないのだろうが、アメリカでは地域のイベントとして老若男女が参加して営々と続いている。ゴスペルもそうである。地域によってはニューオリンズのように土着性の強いものとして観光の目玉になるような場合もある。
つまりアメリカは音楽産業がメシのたねとするヒット競争とは別に、インディーズや自主製作から垣間見られるような土着的な音楽も活発で、CDの販売数とは無関係な音楽の世界の厚みがあることを感じる。
日本は戦後に音楽教育の幅が広がるとか、家庭で情操教育として音楽の習い事が増えるなどして、音楽を「する」人口が非常に増えた。その多くはコスモポリタンな音楽を手掛けているのが現状だろうが、これからは島唄や河内音頭のように、それぞれの地域で老若男女がともに楽しむ共同体の音楽に次第に変わっていくのではないか。メディアの人はそういうことを含んで音楽情報の発信をしていけばよいと思う。