投稿日: Feb 07, 2015 1:41:39 AM
個人情報保護に関する法律は、知財権などと並んで未熟な法体系のような気がする。知財に関しては以前から守りに偏り過ぎているために権利者側の活性化にはつながらないことを懸念してきた。法律がワンサイドになってしまうと、問題が多くなる例である。個人情報保護は個人情報が悪用されるのを防ぐのが目的であるが、これが過剰に意識されて善用も抑制されることが見受けらえるようになっている。これもワンサイドになる傾向がある。
それとは対照に、広告も悪用されては悪徳商法とか詐欺被害になるが、広告があまり減っても生活には不便になることから、法とともに民間のガイドラインでチェックされるという2重の仕組みで、悪用と善用のバランスが取れるようになっている。業界団体が間に入っているからである。
ネットの投稿などに関してはまだものすごく未熟だが、やっと殺人予告とかは取り締まれるようになってきた。しかしまだ人権侵害とか脅迫とかヘイトスピーチのようなものは抑制されていない。それでも投稿などは監視されて不適切なものは削除するという利用規定はだいたいあるし、ネット監視サービスというのも民間にある。つまり未熟とはいえ、民間で法の運用を手伝うようになっていて、悪用と善用のバランスをとる方向にはあると思う。
個人情報の場合は、特に子供が対象の場合に「民間」側は学校とかが中心になるが、こういうところが自分で日常の運営に関った経験から、立法の行き過ぎをチェックして、悪用と善用のバランスをとる能力があるのかどうかを考えると、はなはだ心もとない。
ベネッセのデータ流出事故のようなことがあると、被害者が集団訴訟とか、規制強化の話しばかりになってしまいがちだが、その外側には学校や教育産業という世界が子供を守り育てるという姿勢を強く社会に示して、信頼を得られるようになることが第一番である。
つまり学校などは個人情報の善用の面も増やしていくべきなのである。公園に子供の水筒が置き忘れていた場合に、昔なら住所氏名とか電話番号が書かれていて本人と連絡がとれたが、もしそういった個人情報を載せないようにするのであれば、学校と番号から本人に水筒が戻るようなことも学校が面倒を見るべきではないか。
お詫びが500円でいいのか、5千円なのか、5万円なのかというレベルの話に終始していては、子供が子供なりに社会を体験しながら次世代を担う人になるという教育的側面を見失ってしまう。
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