投稿日: Oct 02, 2013 12:10:45 AM
「憧れ」が未来を作る
ASCIIが社名から消えたという(参考記事)。今までは角川の系列だったが、角川グループの10社が株式会社KADOKAWAに統合されたからである。
ビジネスの世界は何らか面白くもあれば、しがらみももっと多く、いわゆる既存路線にしがみつくようになってしまうと、しがらみに縛られているだけのことしかしなくなってしまう。ある志をもって、同じ志の仲間と一緒に、新たな分野とか業態とか産業とかにチャレンジしていく醍醐味というのが1970年代から最近のITベンチャーまで、いろいろあった。パソコン業界というのはその中で最たるもので、既存のアカデミズムも電子工業もジャーナリズムも流通も、その他どのような産業分野にも縛られずに、素人が全く自由に活動して、何がしかの食扶持を得ることが出来た。
パソコンというものは世界的にも、ビルゲイツやスティーブジョブズのような人を輩出したし、今はもうなくなってしまった小さな会社の人でも、パソコンの大波の中でビジネスできたことは「関わって面白かった」と回想する。今でもその延長上にあるのだが、今更ベンチャーが抗し難い巨大な会社がいくつも出来上がってしまって、それらを乗り越えるベンチャーが育つにはまだ10-20年はかかるかもしれない。
さて、ではパソコンに取り組んだ人は何に憧れていたのであろうか? その憧れは引き継がれているのだろうか? それとももっと魅了的な何かが今後現われるのだろうか?
若い人の「憧れ」というのは、その産業の再生産の力になり、音楽にしびれた人が音楽家になり、映画に感動した人が映画監督になったり、小説に惹きつけられた人が小説家になり、マンガに熱中した人が漫画家になる。しかし今テレビ制作に憧れる人をあまり聞かないから、今のテレビ制作は引き継ぐ人が減っていくはずである。
パソコンは何かしらの「憧れ」を若い人に提供していた。その典型がビルゲイツが初期によく言及していた "information at your finger tips" だろう。パソコンとともにさまざまな技術が開発されて、この言葉は30年近くかかってほぼ現実のものとなった。
つまりパソコンやデバイス面ではもはや「憧れ」ではなくなったので、そういったデバイスでそもそも何をしたかったのか、ということをもう一度振り返ってみる必要がある。その1つは「自由」であって、リチャード・ストールマン のようなハッカー文化は今後も「憧れ」として続くだろう。青空文庫もそういう志の延長上にある。
しかし現実には知財権云々との戦いが続いているが、守勢になる既存業界で働いても何も面白いことは無く、まさにしがらみに縛られてビジネスをするだけである。だから若い人が既存業界で頑張ることは減っていくと思う。昨今電子書籍で黒船問題というのがいわれたがKindleが日本語化すると、もう攘夷派は戦力を喪失してしまった。勇敢に夷敵と戦う若い兵士は居ないからである。
大人になってビジネスは身につけても、何の「憧れ」も無くなってしまうと、抵抗勢力として掃討される日を待つばかりの人生になってしまう。そういう人が日本には多すぎる。