投稿日: Oct 12, 2013 5:54:26 AM
生きた保存を目指して
伊勢神宮は20年おきに作り替えるのが昔からのやり方であるという。ここは一般の人が立ち入るところではなさそうだから、20年間でどれほど傷むのか知る由も無い。他の古くから伝わるもの場合は、どうしても放置できなくなるまで傷んだままで使い続けるのが大勢のようだ。京都・奈良などの古い寺社は、古式ゆかしい雰囲気を出す枯れた建築物が多いけれども、中には今日も外装をメンテしていて色鮮やかなところもある。仏教関係の彫刻・塑像なども金箔や原色塗りのかけらが残っていたりして、出来た当時は煌びやかであったことが偲ばれる。仏教が今でも日常生活に染み付いているチベットの様子を写真で見ると、やはり緑や赤など原色で塗り分けられた意匠が多い。
世界遺産をみても、廃墟のようなところと、現役のところがある。両方ともイメージが定着してしまって、今更変えるわけにはいかないと思うが、デジタルアーカイブの場合は、今が枯れていても、出来たときの原色の姿をシミュレーションすることはできる。そういうシミュレーションが一般化すれば、古い文化財に関する保存の考え方も変わってくるかもしれない。つまりリフレッシュしてなるべく出来た当時の姿で管理するというやり方が市民権を拡大するかもしれない。文化の継承という点ではそれが正しい姿であるともいえる。
印刷物で「活字の味」「活字のよさ」を言う人がいても、実際に戦前に組版された本を復刻すべきだとはいわない。それは旧かな遣いとか正字の世界から、戦後は表記が変わってしまったからということもあるが、やはり古い活版印刷はそんなにきれいなものではないのである。だから書籍という生きた商品は、その時代の技術を使って何度もリメイクされていく。
音楽も古いものへのノスタルジーがあるようにいわれても、やはり新しいデジタルな音の方が聞きやすく、アナログレコードが復活することはあり得ない。
さて新技術で古いコンテンツを再現する際には、結構悩ましい問題があることに気づく。例えば今のフォントの方が活字の時代よりも視認性がよくなっていたとすると、今のフォントで組んだ方が読みやすいのか、それとも若干よみづらくても、当時のフォントに似せたものを作った方がよいのか? 当然今日流通する商品としては前者でないと売れず、インキの埋まった活字のようなものを好んで読む人は一般にはいない。
音楽の場合は、昔の音響装置の内部で発生していたノイズがレコードにも含まれているのだが、そこからデジタルの音源を作る場合に、その音楽以外のノイズをとるべきか、取らないほうが昔の音に近いからよいのか? これも商品としては音楽以外のノイズは取った方がよい。
昔の美術工芸品では今と比べると劣化しやすい材料や色材が使われていたものが多い。では文化財の場合は商品ではないから、昔のやり方どうりで修復するのがよいのか、合成樹脂などの便利で丈夫な材料を使うほうがよいのか? 文化財の場合は商品とは異なって、当時の技法を解き明かすという仕事もあるだろうから、なるべく古いやり方が尊重されるだろうが、今後の劣化を防ぐという点では新しい技術も必要になる。
若い頃携わった仕事で、イタリアからステンドグラスの材料をとりよせたことがあったが、それは昔ながらの手法で作られていて、さすがだなと思ったことがあった。
現状の日本では文化の継承に関して過去から変更すべきでないものと、置き換えてもよいもののガイドラインとうのはあまり話し合われていないように思う。まあこれは一律に考えるべきではないとは思うが、いくらかは議論がされたほうが、やった後で批判の的になるようなことは減るという効果があるだろうと思う。