投稿日: Feb 27, 2011 10:48:31 PM
大メディアに再起はあるのかと思う方へ
メディアに関わる仕事でネットに手を出さない最大の理由は、ネットが無料の海で有料化とか課金が成り立たないだろうという絶望感があるからだ。これに関してはクリスアンダーセンの本「Free」が有名で、無料で「釣」って有料に誘導するプロモーションは確かにあるが、肝心の有料ビジネスのところをちゃんと書いていない点は煮え切らない。新しいメディアの勃興期は無料のビジネスモデルがよく あったのは事実で、そこから考えるとフリーが意味することは、今までのメディアのビジネスモデルがリセットされようとしていることかもしれない。
インターネット上の情報がフリーに引っ張られるのは、民放がコマーシャルによって無料で運営しているのとは違うし、制作や流通コストが低いとかの理由だけではない。確かに昔のマルチメディアは何らかの装置を買ってもらわなければ情報を見てもらえなかったのに対して、今はネットやデバイスは環境としてすでに整っている。だからネットでは装置にコンテンツを抱き合わせで有料化することは容易ではないが、装置の開発コスト・リスクはかからないし、良質のコンテンツで広いマーケットにリーチできるようになるのだから、それはマイナスではないはずだ。
こういった情報環境の上に情報発信に関して長足の進歩があって、BlogやSNSなど情報共有型やリアルタイムのデジタルメディアが普及した。これらは従来のメディアのプロからすると完成度の低いコンテンツなのであろうが、別の情報価値が生まれたから普及したのである。たまたまフリーな環境があって出てきたものではあるが、考えなければならないことは「新たなメディア価値、メディアの役割」であって、それはCookpadのように有料会員化ができたものもあり、Freeがネット上のすべてを支配するわけではない。
マスメディアであっても、報道や調査のもともとの情報源はたいてい無料である。メディアビジネスはコンテンツに支払うというよりは、素材の編成に価値を産み出していたし、こういう企画取材編集のような専門家を擁していた。これがどうなるかを考えるのに、紙の百科事典が膨大な専門家集団を擁して出版していたのが、Wikipediaのような共同編集に置き換わっていったことがヒントになるように思う。つまり今ばらばらにあるBlogやネット上の記事が、ソーシャルメディアで取捨選択されて、Paper.liやFlipboardで表示されるようになってきた。このソーシャルメディアでの取捨選択のところが共同編集にあたり、今後どう発達していくかである。
つまり今日のネット上の情報サービスは編集やキュレーションのようなことをテクノロジー依存で考えるところと、人力でサービスするところの競争が起こっていて、それが新たなメディア価値を生み出す切磋琢磨になっている。そういったところでのビジネス化は、利用者が金を払ってでも求めるものは何かをつかむ事である。今までのアナログの有料コンテンツがデバイスや情報流通のしがらみによって有料が維持できていたという程度なら、今Freeの前に晒されてサービスの評価が低くなって当然である。大メディアといえどもビジネスモデルをリセットするくらいの新たなビジョンを作らなければ再起はなく、縮小する一方だろう。
《この関連の記事》