投稿日: Sep 24, 2015 11:39:5 PM
ベンチャーズがまだ公演をしているというので驚いた。とはいってもベンチャーズはアメリカでは随分前から活動はしておらず、日本のバンドなのである。確かに彼らも1960年代初頭にはアメリカでヒット曲も出してはいるが、コンスタントにチャート入りはしていなかった。日本では100万枚発売していた頃に、BillboardやCashBoxのチャートに彼らの姿はなかった。アメリカではどちらかというと "Walk Don't Run" の一発屋のイメージだろう。
だが彼らは1960年代に来日したアメリカの他のバンドに比べて大変日本にフレンドリーだったので、日本で歓迎されたのだと思う。それに引き換え同時に来日していたアストロノウツなどの日本での行状は日本をバカにしているとしか思えず、結局ファンを増やせなかった。
ベンチャーズといえば皆が思い出すのは、テケテケのエレキサウンドであるが、これはサーフィンミュージックからきていて、ベンチャーズのオリジナルではない。今でいえばMrDesign佐野のようなものである。日本ではベンチャーズがサーフィンミュージックブームの中心であったが、アメリカではベンチャーズはサーフィンの脇役でしかなかった。本来のサーフィンはR&B系のインストルメンタルで、それに先行するHotRodミュージックのスピード感を引き継ぐものであった。HotRodとは新車を買ってブンブン走り回る音楽で1950年代後半からR&Bの中にあり、BeachBoysなどもサーフィンと合わせてやっていた。
こういうR&B系の音楽と同時並行で、白人の間ではロカビリーからギター演奏だけを取り出して、ギターを主体としたインストルメンタル曲が流行り出し、その中にベンチャーズの前進もあった。これはカントリー・ブルーグラスの速弾きと、R&B由来のBoogie的要素、JazzのRag的要素などが混ぜ合わされたようなもので、後のエレキ速弾きにつながるように思う。
当時の黒人の間ではエレキの速弾きというのは殆ど無く、だいたいギタリストは目立たない存在で、1にサックス、2にピアノ、という感じだった。だからベンチャーズのようなギターデュオというのは黒人には殆ど居ない(TheDualsくらいか)。
日本のロックは殆どがエレキギターで始まったといってもよく、そのきっかけを作った功績はベンチャーズにあると思う。ベンチャーズは元々はベースやドラムが居なかったので仕方ない面はあるが、HotRodやSurfin音楽の基底にあるBoogie(列車)やShaffle(歩行)のBeatは日本にはそれほど定着せず、速弾きの方がウケてしまったように思える。
YouTube時代になって我々日本人が知らなかった1950年代のRock音楽映画を沢山見ることができる。それらからするとHotRodやSurfinはサブカル的な音楽で、表舞台でヒットした期間は限られるが、BoogieやShaffleのBeatはそれ以前もそれ以降もずっと同じようにあることが感じられる。