投稿日: Jun 16, 2012 2:11:49 AM
ギターは次第に後方へ…
1960年代中頃から白人の若者で「何々BluesBand」というのがいっぱいできて、それらの人たちがギタリストとしてその後もいろいろ活躍するようになったのだが、黒人の世界では「何々BluesBand」という名称は皆無に近い。それは黒人相手の場合に商業的にはBluesを名乗るのが不利だったからである。記事『文化としてみた場合のコンテンツ』に書いたように1960年頃からは人々はBluesから目を逸らすようになっていたからだ。これは公民権運動のようなメンタルな面と、音楽の傾向の2面からそういえる。実は黒人のBluesの中でギターは重要な位置ではなくなっていたのである。
ギターは「お独り様オーケストラ」ともいわれるように、ひとつの楽器で多様な音楽をやってみせることができて、ミュージシャンからみて技巧的には面白いのだろうが、バンドのように集団で大きな音を出す場所では極端に存在感がなくなってしまう。もともと黒人のエンタテイメントとしての音楽は歌と踊りが中心で、ギター弾き語りのブルースは戦前のレコーディングスタジオの中の世界である。Muddy Watersの戦前のアマチュア時代の音楽も録音されているが、それらはフィドルなども入って、屋外でやっていたと思われるものもある。
ギターはスタジオの中ではビートもグルーブも出せたが、ホーンやピアノがガンガン鳴るビッグバンドにおいてはコード弾きのリズム楽器でしかなかった。この状況は戦後になってエレキが広まって、一時はギターが前面に出たレコードも売れたが、サックスが吹き荒れるR&Bの中では、ギター一本でやっていける黒人ミュージシャンはあまりなく、どちらかというとJazzのような技巧的な世界にギターの活躍の場は移っていったように思う。白人の間ではBluesのギタリストと思われていた人も、結構Jazzギターが弾けてびっくりということもしばしばであった。
しかしギター好きの黒人も居たのである。ところが黒人のコンボであまりにもギタリストが前に出ようとすると、当時のメジャーなR&B・ソウルの世界では嫌われてしまった。記事『ギターを持った黒人(2)』では戦後になって黒人やマイノリティによるレコード会社が興って、大レコード会社が出さなかったような黒人音楽がレコード化したと書いたが、それらはBluesが下火になった時代にはChitlin MusicとかFunkというようなジャンルに衣替えして生き続けた。これらはヒットチャートを賑わすことはなく、白人にはわかり難いものであったが、黒人のクラブでのライブやジュークボックスではそれなりの位置を占めていた。
それらの音楽は、Jimi Hendrixの初期のまだJimmy James名義の頃のライブとしてCDでも聴ける。Jimi Hendrixはそれらよりももっとギターを中心にしたものを目指していたことが、初期の演奏からもわかる。Youtubeにその時期の師匠のWild Jimmy Spruill / Kansas City March http://www.youtube.com/watch?v=e4mZtsEM9UA があるが、Jimi HendrixはSpruillが居ない時に代役を務めていたこともあった。Jimi Hendrixが黒人のBlues離れ・ギター離れに抗してもがいていた時代であった。
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