投稿日: Jan 12, 2015 1:5:55 AM
商業音楽の演奏は凝る方向に進み、実際には演じたり聞いたりする機会が多い弾き語りはレコードとしては少なくいことを、記事『商業音楽とライブの差』で書いた。映画監督のように音楽プロデューサにも表現のこだわりがあるし、レコードを売ろうとすると、あれこれ音の仕掛けを工夫するからであろう。過去の成功事例からいろいろな音の演出のノウハウが積み重なっていく。
しかし、ある時にそういった過去のノウハウは聴衆にとっては陳腐なものに思えてしまう時が来る。ビートルズなどの英国ロックの登場直前はポップスの世界の円熟期でもあって、かつてのロカビリーなど粗野な音楽をしていた人達はすっかりソフィスティケイトしてしまってバラードを歌うようになっていた。それらを背景にアマチュアっぽい英国ロックグループが人気を博するようになった。
その後、英国のロックは、ツェッペリン・クリーム・ジミヘンなどハードな方向に行くのだが、これらはポップス界における音楽プロデューサへの反逆のようなものであったと思う。記事『ロックな生きかた』では、これら3人編成の最小ユニットというのはプレーヤーの個性を強めていった結果であって、プロデューサの言うことを聞くのではなく、自分たちでやりたいようにする音楽であったために、バンドとしては短命でもあったことを書いた。
言い方をかえると、3人編成というのは弾き語りの延長にあるもので、ミュージシャン自身が音作りできる環境であった。10人以内の小規模コンボも似たものである。大衆音楽の歴史を振り返ると、プロデューサが歌手とバンドを組み合わせることが主流ではあるものの、時々原点回帰というかコンセプトの明確化というか、小規模コンボに人気が戻ってしまうことがある。これはBlues、R&Bの歴史を見ていても言えることである。
とすると音楽の創作性という点では小規模コンボの活動が重要と思えてくる。事実レコードのマニアが過去に無名で埋もれてしまった幻の名盤探しをしているところで高値が付くのがガレージバンドであったりするので、そういう人たちがコミケのように自分たちの音源を発表・交換できるところがあるといいように思える。
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