投稿日: Aug 07, 2015 12:11:58 AM
電子書籍を自主出版する人がどの程度増えているのかどうか知らないが、電子出版の課題は配信サーバーにあって、どこかの電子書店に預けなければ流通の管理はできず、そこにひっかかっている潜在的なコンテンツホルダーは多いのではないかと思う。
今日的には自分でレンタルサーバーを借りるとか、ネットのストレージサービスを使えば、本の何十冊のコンテンツを電子化して置くことは技術的に容易なのだが、それだけでは出版と呼べるものにはならない。書店に本が並んでいるように、読者に探してもらえる場所に露出する必要があるのと、どんな人にどの程度読まれているのかを知りたいことと、できれば何某かの課金をしたい、という出版側の要求がある。
これに応えるには、何も今のAmazonのような巨大な流通が必要なわけではなく、特に自主出版の規模であるならば、もっと別の仕組みが出来てもよさそうに思う。書店に関しては街ごと駅ごとにあったように、ネット上も取り扱いをしてくれるサイトが増えた方がよい。ネットではBlogに本のアフィリエイトがあるようにその本のリンクだけがあればよいので、コンテンツの分野ごとにネット上の売り場が増やせるだろう。つまり本をの1点ごとのアフィリエイトではなく、あるジャンルの本を売るコーナーを丸ごとアフィリエイトして、そのサイトに埋め込むなりリンクするなりする方法があるはずだ。
そこで見つけてもらった本の中身はどこのサーバーに置かれていても問題ないはずで、ダウンロードが集中するようなものでなければストレージサービスでもレンタルサーバーでもよいことにして、ただ課金・決済のためのサイトを踏まないとそこに行けないようにすればよい。つまるところ、利用者を認証して課金・決済するサイトさえあれば、ネットのECは大方可能になるといえる。
実際には商業出版などで暗号化したいとかDRM云々という話になると、そこらのストレージサービスとかレンタルサーバに置いておくわけにはいかないが、自主出版程度ならシェアウェアとほぼ同じとみなしてもいいだろう。このように考えるとそもそもネットでの電子出版には何の障害も無かったのに、パソコンソフトのフリーウェア・シェアウェアの延長上に日本の電子書籍が発展しなかったのは不思議である。
フリーウェア・シェアウェアでは、窓の杜、その他の有名なサイトが出来上がったのに、その仕組みが自主出版には結びつかなかったわけである。やはり出版をする人のこだわりというのがどこかにあって、パソコン文化とは相容れない部分があるのだろうか。
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