投稿日: Oct 18, 2010 11:15:36 PM
生まれ変わりたいと思う方へ
他人のアラは目に付くもので、どうしても指摘しがちである。しかしそれをイヤミにしてしまうのか、自分のこととしてそこから何かを学ばせてもらうのか、というのは大きな違いだ。つまり自分の問題ではなくても、比較文化論のように個々の領域を超えた検討をすることは大変有益なはずだ。何しろ日々のニュースから感じることは、それぞれの業界の弱点が何年経っても克服されない点で、それが産業の国際化の中で大きな退潮として目に見えるようになったことである。もうそろそろ過去の意識の清算をしなくては…。
経営者の問題
失われた10年が20年になり30年目に入ろうとしている。考え方がバブル以前に戻ってもいけない。もう日本語WPや9801を知らない若者がいるのに、 ガラパゴス云々といわれるような1980代的な発想がまだ残っている。かつて日本がアメリカの製造業を滅ぼすほど輸出していたのが、今度はアジア勢が同じことをする番になった。アメリカの後を追っても解はないので未知の領域にチャンレンジしなければならないが、それが苦手な経営者が多い。何か提案をする場合に、いくら相手のためになると思って説得をしても聞く耳をもたない人はいる。もう付き合いきれないかなという気がする。ほっておこう。
IT屋の問題
技術者にありがちな技術決定論になりがちで、社会を見ていない点では最も脆弱な経営になる。製造業では半導体で負けたのにまた液晶で負けるような凝りないところがある。技術革新が新たな付加価値を生むのは嘘ではないが、経営要素、競争要素というのを軽視して、機転が利かずに路線変更ができず、いつまでも絵に描いた餅を大事にしてしまう。TVとネットの融合問題も、また昔の絵を持ち出している感がある。もっとライフスタイルの変化、社会変化に基づいた計画をすべきであろう。
広告屋の問題
広告の地位向上はクリエイティブがもたらしたところは大きいが、芸術家気分に浸ってはビジネスから乖離する。企業は広告屋のパトロンではないのだ。リクルートは自分でメディアを持って現代的な広告ビジネスを作りだし、それは今日のGoogleなどネットでの広告につながるものになった。この世界にチャレンジできない広告は企業に無心をするテイのいいゴロツキでしかない。クリエイティブ価値に自身があるところは、成果報酬でも充分やっていけるはずだ。他人の媒体スペースを売る代理店をやめて、企業のパートナーとして明朗なビジネスになるべきだ。
コンテンツホルダの問題
電子書籍でソワソワしだしたが、それで何を解決したいか肝が座っていない。eBookは広がるだろうが今までのような売り上げは確保できないから、売り上げから逆算して成立するビジネスモデルに自分を変えなければならない。しかし出版社はビジネスの仕組みが会社の外にあるので、社内は現場だけあって経営者が居ないような業界である。実はコンテンツも自分のものではないので、編集者の能力を製品に反映してマネタイズする仕組みが組織にないと、看板だけしかないようなものである。意欲的な編集志望者が取れなくなると消えてしまう業種である。
メディア屋の問題
特にマスメディアは文化を作り出すどころか、読者離れ、視聴者離れを招いている。コンテンツがないというのではなく、泥まみれになってでも社会に浸るとか社会と交わる人が減った。そんな経験を経て昔はマスメディアから文化人が輩出されたが、今はリアリティのある切り口や企画ができない。そんな組織では身内から人材を育てられないので負のスパイラルに入った。要するに文化を担うのはきれいごとではできないで、善も悪も呑み込んだ懐の深さが必要で、サラリーマンには向かない。フリーのジャーナリストとうまく付き合える組織にして、再出発しなけばならない。