投稿日: Jan 05, 2015 1:21:15 AM
アメリカは海外で最も訪問した数が多い国で、1980年頃からは年に2-3回、20年以上にわたって仕事で行き来をしたのだが、アメリカ全体を見渡すことができたというような印象はとてもない。行けばいくほど広い国だと思わされた。日本でいうところの市街地のあるようなところはごく一部にしかない。日本でいえば北海道を縦走とか横断しているような雰囲気である。
つまりアメリカ人の半分以上は日常生活において見知らぬ人に出会う機会はあんまりない人だと思う。日本の通勤電車のような状態をを知っている人は全体から見ると例外なくらいである。しかしそういう田舎のようなところでも、最先端の仕事をしている人や会社がいっぱいあるのである。
オハイオでデータベースサービスの会社を訪問した際に、そこの女性から質問を受けたことがあった。それは「東京では電車の中で他人の体が接触するって本当ですか?」というものだった。
デンバーのDTP開発会社では、車で通勤してきた人が会社の前の路上に車を止めているのだが、鍵はかけていなかった。その人は以前はニューヨークで仕事をしていて、デンバー暮らしになってストレスが減ったと言っていた。
有名な学校のあるところは限られた都市ではあるが、卒業後は結構いろんな地域に散らばって研究開発をしている。シリコンバレーはスタンフォード大学とかパロアルト研究所があるとはいうものの、元は辺鄙な場所であった。日本から企業訪問ツアーを企画した際も、日本のように1日で何社もまわることができる都市は例外的にしかない。ロスアンジェルスなども関東平野ほどの広さがあるために、車の移動時間が凄くかかって、1日2社くらいしか回れなかった。
こういう国だから通信が発達し、仕事の重要なことも通信で行えるようになったことが理解できる。昔から通信販売が盛んであったように、通信に頼るしかないものが仕事でも生活でもたくさんあるのである。昔から会員制のブック倶楽部のようなものがあったが、日本にはこのサービスが持ちこめなかったのは、日本にはどの町にも本屋があったからだろう。また本屋のない場所が多いアメリカでは図書館が発達した。専門書出版は図書館に買ってもらえば成り立つくらいにはなっている。
日本でも地方にUターンする人がいるから、都市に集中し過ぎた産業の分散化を進めようという政策もあるが、人がまばらなところでも仕事や生活の環境が充実しているようにならなければ、地方に新しい産業は芽生えないだろう。今の日本では引越しをする際に必要な役所の届けもネットで簡単にできるようになっていない。確かに通販は発達したが、地方のハンディを総合的に埋め合わせることをしないと、アジアとの競争においても不利な点は増えてくるだろう。
Top → Articles デジタルメディアビジネスの記事 過去記事→Archive