投稿日: Mar 26, 2014 12:25:8 AM
ビジネスの彼方に…
アメリカ軍の放送FENを子供のころ聞いていてロックやR&Bのマニアになった人の話はよく聞く。私も記事『身の丈にあったビジネス』『音楽メディアのからくり』のようにFEN体験というのは音楽嗜好を決める大きい要素となった。アメリカの音楽を聴いていると当然ながらアメリカの地名や出来事なども少しづつわかってくる。テレビのニュースや番組でもアメリカの出来事には目が留まることが多くなる。したがってアメリカの雑学もたくさん覚えてしまった。
社会人になってしばらくして、年に2回くらいアメリカ出張をするようになったのだが、その時にアメリカに足を踏み入れて感じたことは、だいたいが想像どおりであったことで、たいへん理解しやすく行動するにも馴染みやすかった。ただしうすうす感じていた日本とアメリカの文化差というのも非常にリアルに感じたので、アメリカに住みたいという気にはならなかった。時々訪れるには楽しいところという程度であった。
つまり私はアメリカを訪れる前に、アメリカ音楽を通じて感覚的で文化的な面のアメリカの雰囲気と、テレビや雑誌などメディアを通じての情報としてのアメリカの2つを持っていた。これは多かれ少なかれ日本の中に広く浸透していることで、その発端は敗戦後の進駐軍の文化戦略というのも見え隠れする。
東京裁判ではかなりの人が不起訴になったが、その人たちのその後の歩みをみていると、アメリカの政策の強力な協力者としての活動が目立つ。ということは東京裁判を通して彼らはアメリカに転向した人たちであるともいえる。アメリカには司法取引というのがあるようだが、改心の証しとして協力者として十分な働きをすることが科せられるのだろうと思う。その中にマスコミもある。読売はその筆頭であるが朝日ですら不起訴組が幹部になった。
アメリカの政策の一翼を担うメディアというのは、アメリカに不都合なことは報道しない。もちろん当時は東西冷戦なので政治問題は顕著にアメリカよりなのだが、アメリカ国内の文化的なことでも不都合なことは報道されなかった。その典型が人種問題とか人種差別である。有色人種や移民への差別はいっぱいあるが、それ以外にも宗教的な対立や、優位主義・排他主義などからギャングまでトンデモな出来事が山ほどある国だったのである。アメリカは天国とはほど遠いところであったのである。
特に有色人種はこういうストレスの中で平安を求めて、また平安であった時には感謝して暮らしているということは、実際にアメリカに行ってみて感じたことである。歌の歌詞に出てくる手紙ひとつをとっても、手紙の重みが日本とアメリカでは随分違うということがわかった。当時は戦地にいっていた兵隊が帰還予定を手紙で知らせてきたという歌はよくあった。
私がFENを聞いていたころの人種差別の実態などは後から知ったことだが、1960年代というのが大衆音楽にとって大きな転換期だったのは、背景にアメリカの社会変化があったからで、ベトナム戦争の終結、公民権運動とか黒人の地位向上の後の時代になって、音楽だけが人種隔離の時代のものに戻ることにはならなかった。
音楽自体は時代を超えて受け継がれる性質ではあっても、それがヒットするとか広く受け入れられるかどうかは時代の空気に左右されるということだ。日本もおそらく高度経済成長期の文化が大衆的にリバイバルすることにはならないだろうが、その時代の証人としては残る。
しかしマスコミの流したニュースは歴史の彼方に消えていき、その時代を生きた人のうみだした音楽や小説や美術など文化的な作品の一部はずっと残るというのは面白い対比だと思う。