投稿日: Jun 10, 2010 4:31:21 PM
著者が自立すると何か良いことがあるかと思う方へ
Web制作はもはや何のツールを買わなくてもWordPressのBlogで済んでしまうが、さらにクラウドの時代になって、アプリケーションソフトをインストールすらしなくても、「サービス」としてBlogはできるし、今までのPCアプリケーションは次々と雲の上に昇華していくだろう。コンテンツのクリエーターがセルフパブリッシングする環境は次第に整ってきている。こう書くと「でもやはり編集は重要だ」という意見がでてくる。しかしあえていうと、環境整備と編集の役割は別次元の話である。
「編集は重要だ」とは有料コンテンツの世界の話である。問題は従来の紙の出版物の場合は有料で世に出るライフサイクルが非常に短くなってしまったことである。本を書いて「数千部しか売れませんでした」ということで何年も経たないうちにその書籍は入手不可能になる。その後にニーズが発生するとか著者が再度出したいと思っても編集者は力を貸してくれないではないか。その段階になるともう出版側と著者側は利害が対立してしまう。つまり「編集は重要だ」は出版社の考える書籍流通時の商品価値判断からくるもので、著者の考える商品価値は絶版後にもあり、発売時だけで価値を判断するものではない。
電子書籍では絶版を無くせるので、書籍発行から一定期間とか部数がどれだけとか、出版社のビジネス領域を確保しつつ、出版社にとって重要でないその後のロングテール需要に関しては権利を著作者の自由にして、電子再販とか電子再構成が自由なような、新たな契約関係を考えるべきではないだろうか。薬でいえばゼネリックのようなものである。
ほって置いてもこれに近い状態になるだろう。それは一見関係ない文字の世界と映像の世界で似たようなことが同時進行のように起こっているからだ。Amazon DTP(Digital Text Platform)や Ustream Producer Pro というのはDTPとかDTVを超えたセルフパブリッシングツールで、従来の出版制作の流れと対比して考えると、完成度の高くなった持込原稿のようなものである。著者にこの能力が身につくと、売れ行きの盛りを過ぎたロングテール期に入っても、著者が望むならさらに内容を充実させることができる。
初版時には持込原稿に対して出版社がさらにソフィスティケイトさせて商品化する場合もあれば、話が決裂してセルフパブリッシングになる場合もあろう。こうなると専制的な「編集」はなくなり、「編集」は著者とのコラボレーションの意味になる。著者はテストマーケティング的にセルフパブリッシングして、パートナーにふさわしい編集者を選ぶということもできる。著者が自立性を手に入れることは、著者と編集者の関係を変えていくと同時に、著者と編集者はお互いにスキルを高めてゆくだろう。
一旦電子出版になるならば、著者は印刷部数や在庫を気にせずにいつまでも自分の作品に手を入れ続けることもできる。文字であれビデオであれ、短編から始めて、手塩にかけて作品を仕上げていくことがデジタルのパブリッシングで可能になるならば、ライフワークとしてその人の最高の作品ができることになるのではないか。