投稿日: Nov 10, 2015 12:22:36 AM
ASCIIはいろいろ想い入れのあった雑誌だった。それが週アスになった時は、ちょっとがっかりだった。それも紙媒体がなくなりWebオンリーになった。しかし紙媒体の時は6万部出ていたものが、オンラインでは6000部になってしまったという。これは他の雑誌でも似たり寄ったりの傾向で、オンラインで6000というのは悪くない数字かもしれないが、紙の6万部からするとオンライン化では確実に影が薄くなってしまう。ネットでは週アスのようなノリではなく、むしろSuperASCIIのようなものの方が熱心なファンが付くのではないかという気もする。もしアスキーがラボに徹してマルチリンガルで質の高いメディアを出せばグローバルなビジネスにだってできる。もっともそういうのはドイツからは既に出ているといわれてしまうかもしれない。
紙媒体で6万部でるならば雑誌としてやっていけそうであるが、いろいろ切り詰めて努力しながらでも雑誌を続けたいという編集魂のある人がもう居ないのかもしれない。かといってネットで新たに挑戦する気概があってオンライン化するのでもなく、単に印刷経費の節減になるからというのが第一動機でするならば、そのうち消えていくことになるだろう。アスキーの場合はKADOKAWAだから、今までにない何かを仕掛ける可能性も残っているが、多くの紙媒体のオンライン化は墓場への第一歩であるように思える。
今ネット上のメディアというのは多くあるものの、活力あるメディアはどれほどあるのだろうか? 以前、『dマガジンを止めた理由』というのを書いたが、紙雑誌の紙面そのままを画面で見るような媒体は、単に費用が掛からないというだけで、本当に読者と向き合って編集制作をしているとは言えない過渡的なメディアでしかない。
まだ読みやすさや見栄えを全く無視した2chが今でも生きながらえていることを思うと、紙の紙面制作のノウハウが情報発信にとっては最重要のものでないことはわかる。しかし2chやメルマガから先には、blogやSNSのようなものしかなく、これらが意外にメディアとしては扱いにくい。紙雑誌ならバックナンバーの目次を辿って過去記事を探せるが、blogやSNSのような断片化された文章を探すのは大変なのである。そのためにblogやSNSは現時点から数日前に遡るのがやっとである。
雑誌は目次があるだけではなく、記事が「特集」「連載」「コーナー」などに区分されていることも情報を見やすくしている。アメリカではオンライン化の際に徹底したキーワード主義をとったように思う。例えば自分の欲しいものを、「てにをは」抜きの文章のように単語化して入力すると、それらしいものが出てくるように発展してきた。それはそれなりに機能するようになって、紙媒体の情報分類法は無しでも利用は広がったと思う。ところが日本語ではなぜかそれは不十分であった。検索エンジンがシソーラスの処理をするようになって、計算機でもコンピュータでもCPUでもcomputerでも同じような結果が出るようになりつつあるが、漢字仮名カタカナやアルファベットが混在する日本の文章では処理の負担が大きいことが考えられる。
やはりオンライン雑誌のようなものの将来を考えると、情報の探しやすさをもっと工夫しなければならないと思う。また雑誌の表紙というのも記憶を辿る手がかりとして重要であることを思う。週アスはオンラインになっても表紙を作り続けているが、そういうアイコン化も今のオンラインには欠けていることが多いと思う。
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