投稿日: May 23, 2010 11:37:15 PM
電子書籍の何が問題なのか分かり難い方へ
5月末にはJAGATで電子書籍云々のセミナーが4つもある。そのうち2つが20日21日で終わった。それぞれ数十名の参加者があったが、たとえどんなよく練られたプレゼンが行なわれても、聞いた人の評価はまちまちになるであろうな、と思わされた。このBlogにおける表現でも『電子書籍』が多いが、ある時は『電子出版』といってみたり、はたまた『デジタルメディア』でくくったり、『電子雑誌』なんてこともある。こうなってしまうのは、それぞれの言葉のニュアンスが限定的なので、デジタルで領域のまたがりが大きくなると、ひとつの言葉だけで議論するのが難しくなるからだ。英語ならすべてEBookでくくれるのであろうが、こういう言い方をするところまで日本は共通認識ができていない。
例えば『電子書籍』を語っているサイト・記事を見ると、紙の書籍では未体験の新しい可能性の話をしているところと、なるべく紙の読書と同じことをしたい人がいる。これらは全くベクトルが異なるので、おそらく両者で議論は成立しない。
また電子書籍という商品を語りたい人と、電子書籍を扱う経営を語る人がいて、この両者も話がかみあわない。商品の方も著者側から考える人と、読書要求・読書行為をいう人がいる。今まで著者と読者はあまり接触がなかったので、電子書籍をきっかけに向き合えるところが多くなった点が刺激的と受け取る人もいる。ここら辺は編集者が間を取り持って話が進んでいくのではないかと思う。
厄介なのは経営の話である。当事者が語っていないので、黒船論のように外野でいろいろ揶揄しているような話しかない。
しかしこの沈黙状態からも意味はくみとれるところがある。日本で最も電子書籍の経験を積んでいるのはボイジャーであるし、既存の出版社ともいろいろなプロジェクトをしてきた。出版社の経営者はそれらをどう評価しているのか。もしこれがアメリカならボイジャーに投資があつまって、それこそ出版維新をしようという連合ができるのだろうが、日本の出版経営がそういう戦略をとらないとしたら、代案を作らなければならない。それは今日の沈黙状態からするとできていないと思える。
ほっておくと既存の出版経営者は維新はイヤだから攘夷のままキレイに滅びることになるところもあろう。しかし電子化で出版の参入障壁は低くなって、多くの人がEBookを始める。読者はあえて『書籍』と謳っていなくて、Webの延長にあるものでも構わない人も多いだろうから、電子出版カンブリア紀になって、点数は増えていくが得体の知れないジャンルに発散してしまう可能性のほうが高いのではないか。(伏兵の意味:デジタルフォトフレームにマンガをスライドショウしても、電子コミックにみえる、てなことはいっぱい考えられる)