投稿日: Jun 29, 2013 1:42:46 AM
天才は扱い難いもの
東京の近郊のひなびた旅館には、昔何々先生が泊まって原稿を書いたとかの記憶があったりするが、先生たちも泊まりたくて泊まっていたのではない、切羽詰った状況であったのではないかと思わされる。何しろ旅館の周囲には遊ぶところも面白そうなところも何もなく、なぜこんなところに旅館があるのか、という立地のところもよくある。よく作家先生に編集者がストーカーのようにつきまとう構図があるが、きっと玄関先の見える部屋には編集者が見張りに泊り込んでいたのではないかと思う。
先生の方も書く気はあるのだが、なかなか自分で搾り出すところに行けないので、編集者が逃げ場を無くしてくれることが、創作活動を進めることになったのだろう。それでも実際には逃げてしまう先生が居たり、井上ひさしのように書けなかったということもある。それほどクリエイトという仕事は特殊で、生産性を問題にする通常のルーチンワークは先が読めるのとは対照的である。だからビジネスとしてよいコンテンツを継続的に提供するというのは相当無理がある。
日本は編集者が付き添って商品化にこぎつけるのは良い方で、そのような手間をかけないアメリカとかハリウッドなら作家に薬物を与えてコンテンツを搾り出させる。あるいはクリエータも自分を駆り立てるためにエキセントリックな体験をするとかが背景にあって、破滅的な方法で創り出していることがある。日本でも作家の自殺はしばしばあったことで、異常な高揚によってしか創作できない人に、無理にそれで生計をたてるように仕向けるとか、大先生のプライドを植え付ける必要は、本来はないのだろう。彼らは商業主義の犠牲になっているように思えるし、そのやり方でビジネスを拡大していくことにもならないだろう。
もう一つのクリエーターのタイプはわが道を行く人で、編集者やプロデューサーの言うことを全然聞かない。天才にありがちなのだろうが、この場合も商品化の目処とか売り上げ目標は立て難い。下積み時代の Jimi Hendrix (参考 Jimi Hendrix の背景) もそのような人で、当時のアメリカのレコード業界のA&Rマンの嗜好とは全く異なったことをしていたために芽が出なかった。Jimi のバンドはちょっとは有名になったものの、TVに出る際には Jimi は外されるような状況だった。ところがイギリス人から見ると天才だったのでイギリスで「デビュー」することになった。
つまり既存の路線から外れた天才はギョーカイの評価は得られないのでビジネスには組み込まれず、異文化とかクチコミなど別の環境でスタートを切ることになる。ネットでのコンテンツビジネスが既存のものと何か違うところがあるとすると、異文化コミュニケーションが容易になる点であるので、ビジネスのあり方も、中心を大先生主義からオープンなところへと、少しずらす必要があるだろう。